2020年(もう4年も前なのかっ!)に発売された「SEROW250 FINAL EDITION」をもって35年間の歴史に幕を下ろした唯一無二の“マウンテントレール”……。超人気モデルらしく歴代全てのモデルを網羅した書籍やウェブサイトは山ほどございますので、ここでは不肖オガワの視点から見た「セロー225/250」像について語っていきたいと思います。というわけで、初っ端はセローのベースモデル(?)について(^^ゞ

ツーリングセロー ベージュ

●しつこいようですが実に35年にも及ぶ「セロー」モデルライフのうち、後半戦の人気を強く支えたと言っても過言ではないのが2012年モデルから登場した「ツーリングセロー」の存在。アクティブなツーリングで役立つアクセサリーの数々を標準装備したモデルで、STDモデルをベースにアドベンチャースクリーン、ブラッシュガード、アドベンチャーリアキャリア、アルミアンダーガードを装備。アンダーガード以外はGKダイナミクスが直々にデザインを担当したのですからフィット感はバツグンでしたね〜! 写真は2014年型ですが2020年のファイナルエディションにもしっかり設定されていました

 

 

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つくば万博が開催され、綾瀬はるかさんが生誕された……

 

1985(昭和60)年!

 

 

この原稿を今眺めている全銀河1京8198兆4649億2525万飛んで128人ForR読者のうち、この年にまだ生まれていない方も数多いことでしょう。

宇宙イラスト

●すみません、筆者は1974年に放映された『宇宙戦艦ヤマト』TVシリーズからリアルタイム視聴してきたオタク……いやオトコのコなので銀河やら宇宙といったフレーズが大好きなんですよ。ロマン!

 

 

当時、太陽系第三惑星地球の日本国が、どのような世相だったのかザッと振り返ってみますと……。

 

 

内閣総理大臣は自由民主党の中曽根康弘氏で、任天堂からスーパーマリオブラザーズが発売され、『機動戦士Zガンダム』が放映開始。

1985年スペンサー

●1985年といったらバイク好き、レース好きならゼッタイ忘れてはならないのが「フレディ・スペンサー選手、世界GP250㏄&500㏄クラス、ダブルタイトル獲得!」でしょう。1983年にケニー・ロバーツ選手を破って500㏄クラスの栄光を獲得。しかし1984年は不運が重なり不完全燃焼……。その鬱憤を晴らすかのごとく1985年はアンビリーバブルな2クラスダブルエントリーを敢行し、ロスマンズカラーのRS250RWとNSR500(写真)を駆って、両クラスとも最終戦を待たずに年間チャンピオンを確定させるという空前絶後の離れ技をやってのけました。このときの感動を今なお引きずり続ける筆者のようなライダーは全銀河に星の数ほど存在しております!

 

 

ミノルタは世界初のAF一眼レフ「α-7000」を発売し、日本電信電話公社と日本専売公社はそれぞれ「NTT」「JT」へと民営化。

ミノルタα-7000

●これまた思春期の筆者が心底驚かされたロマンの塊……。今ではあったり前な技術となっておりますが写したい対象物へのピントをカメラが勝手に合わせてくれる(AF=オートフォーカス)一眼レフというのは、当時としては画期的な製品だったのです。キヤノン,ニコンらの巨人を押しのけ瞬間的ではありますがシェアナンバーワンを獲得したことも……「αショック」という言葉も懐かしいですね〜。紆余曲折あって現在αブランドはソニーのもとへ。なお、「ミノルタα-7000」は2020年に国立科学博物館による未来技術遺産にも登録されました

 

 

『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』や『夕やけニャンニャン』が大人気となり、バース・掛布・岡田の阪神タイガースが球団史上初の日本一に輝き、レベッカが「フレンズ」を大ヒットさせていました。

天空の城ラピュタ

「あの頃、何してたっけな〜」の指標としてよく使わせていただいているスタジオジブリの作品。1984年に公開された『風の谷のナウシカ』成功を受けて1985年に設立されたのですね(知らなかった)。翌1986年には写真の「天空の城ラピュタ」が封切られ,以降も新作が発表されるたび必ず大きな話題となっております。筆者的にはラピュタが一番好きでしょうか。ストレスが溜まるたび「バルス!」と叫んでますし……(←ヤバイやつ)

 

 

もの凄い速度でバイクが進化していた時代にカモシカが降臨!?

 

そんな年の8月1日、ヤマハから聞き慣れない名前のオフロードモデルがデビュー……。

 

 

それが「セロー225」だったのです!

SEROW_1985緑

●全てはここから始まった……の1985年型ヤマハ「セロー225(1KH)」。「XT200(後述)」の空冷4スト単気筒OHC2バルブエンジンをベースに低速トルクを重視するため排気量を196㏄から223㏄へと拡大。最高出力20馬力/8000rpm、最大トルク1.9kgm/7000rpmというパフォーマンスを発揮(始動はキックのみでセミ・オートデコンプ機構を採用)した。燃料タンク容量7.6ℓ、シート高810㎜、乾燥重量102㎏。50㎞/hでの舗装平坦路燃費は60.0㎞/ℓを記録。当時価格は32万9000円でありました

1985年セロー225の赤

●ど〜ですか、お客さん! なんとシートとシュラウドだけでなくフレーム塗色もコーディネートするという今ではなかなか考えられない恐ろしいほどのこだわりっぷり(写真はホワイト×ファイヤーレッド。上写真はホワイト×フォレストグリーン)。フォークブーツやスイングアームの「MONO CROSS」ステッカーの色まで変えてきていますからね……。コスト計算がいろいろとオカシイ時代だったのですよ〜

奈良の鹿セロー

●なお、1985年最初期型の「セロー225」はタンクにあしらわれたイラストの角が枝分かれしており(上写真参照)、「これじゃヒマラヤカモシカじゃなくて奈良の鹿ですよ」と某団体から注文が付いたことを受け、1986年の生産分から左右一本ずつに変更された……というのは有名な話。CGなんてない時代にカタログ写真も全て修正するというオオゴトに……。今や“枝分かれ(奈良の鹿)”仕様は公式的には「なかったこと」とされているようです(^^ゞ

 

 

 

筆者は高校3年生。

 

 

毎月500円玉を握りしめてモーターサイクリスト誌を購入し(←受験勉強はどうした)、日進月歩……いや、秒進分歩の勢いで性能を向上させていく400&250㏄レーサーレプリカの進化っぷりに心奪われていた紅顔……いや厚顔微(妙な)少年。

受験勉強中

●嗚呼、受験勉強……。今思えばもっとしっかりやっておけば良かったと猛反省。現在その渦中にいるナウなヤングは、後悔しないようフルスロットルで頑張って!

 

 

3ナイ運動で免許すら取得できない欲求不満を放課後、バイク好きな悪友たちとの口プロレス……要は舌戦で日々紛らわせていたのですけれど(←マジで受験勉強はどうした)、「セロー」の話題などほぼほぼ出てきませんでした。

 

『あいつとララバイ』(連載開始は1981年)『バリバリ伝説』(同1983年)に感化された無免許ティーンエイジャーたちは、オフロードの奥深さや面白さを理解するにはまだ早かったのでしょう。

 

大空を舞う「XT200」の勇姿にズッキュ〜ン!としたあの日

 

とはいえ、そんなバイク好きな悪友との喧噪から離れてチェーンケースに“FZ”ロゴとストロボカラーをあしらったミヤタのスーパーサリー号で自宅に戻り、

ヤマハFZ400R

●コレですよコレ! 1984年に発売されたヤマハ「FZ400R」! このグラフィックにひと目ぼれして自転車のチェーンケースを取り外し、夜な夜なマスキングしてペイントしたセイシュンの思い出(黒歴史)。そうしたら最近「XSR900GP 外装キット」のモチーフとして、あの「RZV500R風味」と並んで取り上げられたではないですか。16歳のオレよ、先見の明があったぞ!

 

 

どんぶりメシを5~6杯かっ食らった夕食後、部屋にこもってニキビを潰しながら収集したカタログやモーターサイクリスト誌をニヤニヤ眺めていた筆者は(←だから受験勉強は……)、同誌のオフロード系ライター、服部久志さんや廣瀬達也さん、村岡ジッタ(本名:村岡 力)さんらの「セロー225、コイツは凄いゾ!」といった絶賛記事に心を揺り動かされていたのです。

1985年セローカタログ最終ページ

●1985年型「セロー225」カタログの最終ページ。それまで森のなかでセローがぽつねんと佇んでいたり、ライダーが険しい山道をヒーヒー押し歩いたりと、ほぼほぼ静的な写真をズラズラ並べておいて最後の最後にコレですわ(笑)。実際、玄人によるハードな走りも許容する高いオフロード性能が備わっていたことも「セロー225」の誇る大きな魅力のひとつでした

 

 

夢中になって読んだ雑誌記事の中でもべべ~ン!と琴線に触れたのが「ベースはXT200で~」というくだり。

XT200_1982

●1982年8月7日に発売されたヤマハ「XT200(23J)」。新設計された196㏄空冷4スト単気筒OHC2バルブエンジンは最高出力18馬力/8500rpm、最大トルク1.6kgm/7000rpmという実力の持ち主。燃料タンク容量7.3ℓ、シート高835㎜(←セロー225より25㎜高い)、乾燥重量98㎏。当時価格は26万5000円ナリ

 

 

「おお、そうなのか! だったら間違いないはず!!」と勝手に盛り上がってしまいました。

1982年型XT200

●そのころヤマハの4ストオフロードモデルと言えば“XT”で決まり! 「SR500/400」のベースともなった「XT500/400」を頂点に「XT250」と「XT125」もラインアップされ、その中間を埋める新提案として200㏄クラスを創出したパイオニアこそ「XT200」だったのです。この後、ホンダの「XL200R」や「MTX200R」、ヤマハは「DT200R」、スズキからは「SX200R」ほかのモデルが次々に登場。ビギナーからベテランまで楽しめる200㏄(+α)モデル群は、1990年代のエンデューロ&林道ブームを支える大人気クラスとなりました

 

 

いや単純に「XT200」のカタログから受けた超ド級の衝撃から広がった妄想のせいなのですけれど。

XT200カタログ表紙

●バイクショップに行って「すみませ〜ん、カタログもらってもいいですかぁ?」と、店の奥でソフトバイクをちゃかちゃかイジっているオヤジさんにひと声かければ「おうよ、好きなだけ持っていきな〜」と、こちらを見向きもせず飛んでくる返事。本当にいい時代だったのだなぁ……と思い出すだけで目から汗が噴き出してきます。あ、オッサンの昔語りなどどうでもいいですね(汗)。というわけで当時収集した膨大なコレクションのうち、この初期型「XT200」カタログの表紙は別格にカッコよく感じました。複数もらってきて一部を部屋の壁に貼ったほど!

 

 

初代ホンダ「VT250F」がデビューした1982年春から本格的にバイクへ目覚め(厨二……いや中2時代)、近所にあったショップでカタログを収集しまくったハタ迷惑なライダー予備軍だった筆者は、関東に住む親戚から送ってもらったドでかい鳩サブレーの缶(金属製の箱ですね)内へGETしたカタログを積み上げていくことへ至上の喜びを感じていました。

XT250T

●まぁ、翌1983年にはクラス初のDOHCヘッドを積んだヤマハ「XT250T」が、さらに(文字どおり)ブッ飛んだ写真をカタログ表紙に持ってきてドギモを抜かれたワケなのですけれど……。閑話休題

 

 

レーシー志向からの勇気ある決別……オレの好きにさセロー!

 

毎日のように引っ張り出しては眺めていたお宝の中でも、ヤマハ「XT200」のカタログは行き当たるたび表紙の写真に視線がガッチリ固定されてしまい、タメ息をつくしかなかったですね。

XT200メカ解説1

●乾燥重量98㎏……現在の筆者体重(湿潤重量)より軽いではないですか(涙)

 

XT200メカ解説2

●丸目一眼のヘッドライトがまた、そそりますねぇ〜

 

 

そして当然のごとく毎回中身も熟読してしまうわけですが、とにかく軽い(乾燥重量98㎏!)、サスも一級(フロントはセミエア、リヤはモノクロス!)、コンパクトな車体(125㏄モデル並み!)、適切な馬力(4スト196㏄で18馬力しかないけれど高速道路だって乗れる!)であることをアピールする文章群が『試験にでる英単語』よりも急速かつ濃厚に脳の海馬へと染み込んでいったわけですよ。

試験にでる英単語

●愛称は「でる単」! 東大へは行けませんでしたけれど、大変お世話になりました

1984年型XT200

●鮮烈デビューから2年後の1984年に、外装デザインをガラリと変えて(当時の流行に乗って、とも言えますが)登場した「XT200(47J)」。ん〜、これはこれで十分にカッコいいのですけれど……(当時価格28万5000円)

1984年のDT200R

●同じようにレーシーなスタイリングなら、まさに「ウィークエンド・モトクロッサー」を標榜して同年に登場した「DT200R(37F)」〜エンジンは水冷2スト単気筒で30馬力を発揮!〜に人気が集まるのは当然の理(当時価格32万9000円)。大人気モデルとなった「DT200R」は毎年のようにアップデートを繰り返して1991年には「DT200WR」へと進化……日本のエンデューロシーンを盛り上げました。あ、「XT200」は「セロー225」登場後もしばらく併売されていましたが、確か1986年ころにフェードアウトしたという記憶がございます m(_ _)m

 

 

かくいう“XT200はスゲェ!”という特殊な色眼鏡……偏光ならぬ偏向フィルターが形成されてしまった目から「セロー225」を眺めると、ありとあらゆる部分が光り輝いて見えてくるではあ~りませんか。

1985年セロー225

●なんといっても当時のオフロードモデルが押し並べて採用していたタンデムシート直下の“ゼッケンナンバーを貼り付けるのに最適な、黒だか白だかで青だか黄だか赤だかで塗られた「こぶとりじいさん」のほっぺたみたいな形状を持たされていたサイドカバー”をきっぱりとやめ、代わりに車体を人力でどうこうできるハンドルを左右に設定(ヘッドライト直下にも用意)したのが新鮮そのものだった「セロー225」のスタイリング。ただし、その有用性が広く知られるまで、ちょいと時間がかかりました。世の趨勢に逆らって進む者の宿命でしょうかね(^^ゞ

 

 

やっぱり軽い(乾燥重量102㎏)、サスも一級(フロントはセミエア、リヤはリンク式モノクロスへ進化)、コンパクトな車体(シート高810㎜ ※XT200は835㎜だった)、適切な馬力(223㏄となり20馬力を発揮)と「XT200」の美点をしっかり踏襲&進化させつつ、新たにフロントディスクブレーキや前後のハンドル・スタンディング(ぶっちゃけ取っ手ですね(^^ゞ)などを採用し、左右51度という大きなハンドル切れ角まで導入……。

セロー225カタログ1

●1985年型「セロー225」カタログより(下も)。なんともシャレオツな透視図が多用されていますね〜

 

セローカタログメカ2

●あのころは「軽量こそ正義のオフモデルにセルスターターなど不要!」という風潮だったことを思い出しました

 

 

オンロードモデルだけでなくオフロードモデルにまで蔓延していた「より速く、よりレーシーに!」という、まさに“時代”を象徴する方向性からはスッと身を退き、「そんなに気負わなくてええやん。ゆっくりトコトコ、時には両足バタバタ地べたに着けて、未知なる大地を進んで行きまひょ!」(←誰?)という方向性を声を大にして主張しつつ登場してきたのです。

 

想定外(内?)の販売不振。カモシカは消えるかも……しかし!

 

 

駄菓子菓子! 

 

 

その声は販売が始まってから結構と言ってもいい長い間、ユーザーにはなかなか届きませんでした。

 

 

そりゃそうですわな、何もかもがイケイケドンドンだった1980年代☆狂乱バイクブームの真っ只中、オフロードモデルのメインストリームだった4スト250㏄クラスの世界では、ホンダ「XL-R」→「XLX」→「XLR」、ヤマハ「XT」→「XT-T」、スズキ「DR-S」、「カワサキ「KL」→「KL-R」と代替わりするごとに性能が劇的に向上! 

XLR250R_1985

●まさにバイクバブルを具現化したような金!赤!という出で立ちで「セロー225」登場の4ヵ月前、1985年4月にリリースされたホンダ「XLR250R(MD16)」。RFVC機構を採用した249㏄空冷4スト単気筒OHC4バルブエンジンは28馬力/2.5㎏mのパフォーマンスを発揮。細かいモディファイを受けつつ1994年の最終型まで10年近く4スト250オフロードクラスを牽引していった名ブランドとなりました

 

 

排気デバイス進化の過渡期ではあったものの吹け上がりの鋭さが熱狂的なファンを生み出した2スト200~250㏄クラスも、ホンダ「MTX」、ヤマハ「DT」、スズキ「RH」らが鎬を削り合っていたため、ファンの視線は熱いバトルを繰り広げているそちらへと集中することとなったのです。

RH250_1984

●1984年、世界モトクロスGPチャンピオンマシンである“RH”の称号を冠するオフロードマシンとして颯爽と場したスズキ「RH250」。乾燥重量106㎏の車体に35馬力/3.5㎏mを発揮する249㏄水冷2スト単気筒フルリードバルブエンジンを搭載し、当時価格は39万9000円……。200㏄のライバルを蹴散らす圧倒的なスペックを誇ったものの1980年代はナゼか「2ストオフロードなら200㏄で十分っしょ!」という謎バイアスが界隈に蔓延しておりヒット作とはならず……。バイクビジネスとは本当に難しいものです(^^ゞ

 

 

「セローって(ヒマラヤ)カモシカという意味なの? アルファベット2~3文字の車名じゃなきゃ分かりづらいヨ」、「マウンテントレール? ソレって美味しいの!?」、「排気量225㏄って何だか中途半端だなぁ……」などと、「セロー225」に対するありとあらゆる無理解ゆえの言い掛かりが放課後の口プロレス会場だけでなく、空前のブームに沸き立つニッポンのバイクシーンにおいて、不可解に広がっていたような気さえいたします。

無理解な人のイラスト

●当時の筆者やバイク悪友のような“カタログスペック至上主義ヤロウ”だと、にわかには理解できない世界だったのです。そんなワタクシも後日、「セロー225」を購入することに……

 

 

そう、それはまるで4年後に登場したカワサキ「ゼファー」デビュー時に多くのライダーやバイク業界が示した反応のようでした。

 

スペックや装備的には何ら見るところのない、妙な名前を引っさげて現れた端正……というか地味なバイク”は、はたして両車とも長い期間にわたり愛され続ける超絶大なブランドとなっていったのが非常に面白いところですね。

●1989年に発売されたカワサキ「ゼファー」。「セロー」もそうでしたが、最初の最初に存在を知ったときには冗談抜きで「ナニソレ?」と思いましたもん……

 

 

実際、「セロー225」は発売当初「もう笑っちゃうくらい売れなかった」(←後日、関係者に聞いた話)そうですが、いち早く接することができて魅力を見抜いた慧眼雑誌ライターたちが各雑誌媒体でふるう熱筆だけでなく、“ファーストペンギン”となったユーザーが身近な人へ伝えていった感動の口コミによっても、卓越した魅力が市井のライダーたちにジワリジワリと広がっていきます。

セロー225WE

●写真は1997年型「セロー225WE」カタログより。35年間というセローの歴史から考えれば登場からたった12年、まだまだ前半戦といっても過言ではないころなのですけれど、すでに王者の風格すら漂っていますね。打倒セローに萌える……いや燃える他メーカーからは続々とライバル車がデビューしてきますが……。そのあたりの攻防戦についても次回以降のとこかで述べる予定です。乞うご期待!

 

 

ヘタをすると35年どころか、1~2年で終わっていたかもしれない「セロー」の歴史……

 

 

次回は人気に着火し燃え広がっていった状況について,お伝えしてまいりましょう!

AG200_1985

【セローの愉快な仲間 その1】「セロー225」のルーツである「XT200」からは、こんなモデルも生まれています。知る人ぞ知る「AG200(1FE)」! AGとはAgriculture(農業)から付けられた車名で、オーストラリアやニュージーランドで牧畜&農耕用に使われていたモデルを日本市場用にアレンジ! ちゃんと1985年2月1日から日本でも当時価格30万8000円で発売されていたのですよ〜。なお、彼の地では今でも現役モデルです。どうにかこうにかして再び日本に導入すれば大ヒットするんじゃないかなぁ、と勝手な妄想が広がります……

 

 

あ、というわけで超ロングセラーとなった「セロー225/250」シリーズは、どの年代もヤマハ開発陣の執念が感じられる仕上がりを誇ります。各年式ごとに膨大なパーツをストックしているレッドバロンが提供する『5つ星品質』な中古車なら、安心かつ幾久しくセローライフを楽しむことができますヨ。まずは近くにある各店舗におもむいて、車両在庫のチェックからスタートいたしましょう!

 

 

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