「何ccに乗ってるんですか?」

バイク乗り同士なら、ごく普通に交わされる会話です。

「250ccです」

「ああ、250ね」

たったこれだけなのに、この「ああ」に妙な含みが乗ることがあります。

「そのうち大型に乗りたくなるよ」
「せっかくなら大型免許を取ればいいのに」
「男ならリッタークラスでしょ」
「大型免許持ってるのに、なんで250ccなの?」

もちろん、仲のいい者同士が笑いながら交わす冗談まで問題にしたいわけではありません。

排気量について語ること自体も、ごく普通のバイク談義です。

ただ、排気量というバイクのスペックが、いつの間にか相手の経験や技量、経済力、さらには「ライダーとしての格」まで測る物差しになってしまうことがあります。

私は、そういうものを「排気量マウント」という名のハラスメントだと捉えています。

ここで法律上のハラスメントを論じたいわけではありません。

人が気に入って乗っているバイクを、排気量だけを理由に下に見る。

少なくとも、それは気持ちのいいコミュニケーションではないと思うのです。

「大型」が特別だった時代がある

なぜ日本のバイク文化には、排気量による上下関係のようなものが生まれたのでしょうか。その背景には、かつての免許制度も少なからず関係していると思います。

昔、大型バイクに乗るためには、運転免許試験場で、いわゆる「限定解除」の試験に合格しなければならない時代がありました。その合格率は1%程度ともいわれるほどの狭き門でした。

何度も試験場へ通い、厳しい試験を突破して、ようやく大型バイクに乗れる。その時代を経験したライダーにとって、「限定解除」という言葉に特別な響きがあるのはよく分かります。努力して手に入れた免許ですし、大型バイクに乗ること自体が、ひとつのステータスでもありました。そこに誇りを持つことは、何も悪くありません。

ただ、1996年には指定自動車教習所でも大型二輪免許を取得できるようになり、状況は大きく変わりました。そして、大型二輪教習が始まった頃、今度は別のマウントも誕生しました。

教習所で大型二輪免許を取得したライダーに対して、一部の限定解除組から、

「なんだよ、金で買った免許かよ」

なんて言葉が飛んでくるのです。これは伝聞ではありません。私自身も言われましたし、同じようなことを言われた友人もいました。試験場で何度も苦労した人からすれば、「俺たちはあれだけ大変だったのに」という思いがあったのでしょう。その感情自体は、今なら分からなくもありません。でも、振り返ってみれば、これも結局は同じ構造だったように思います。

「俺はこちら側。お前はそちら側」

そこで線を引いて、上下をつくる。排気量だけではなく、免許の取り方にまで序列があったのですから、なかなか根深い話です。そして、大型二輪免許が教習所で取得できるようになってから、もう30年。

それだけの時間が経ってもなお、「大型に乗れる人ほど上」「排気量が大きいほど上」という感覚が、どこかに残ってはいないでしょうか。

1996年の大型二輪免許制度の変更には、米国ハーレーダビッドソン社や米国政府などによる働きかけが大きく影響したとのことです。

大型へのステップアップは、もちろん楽しい

ここは誤解されたくありません。私は、大型バイクへのステップアップを否定したいわけではありません。大排気量車には、大排気量車ならではの魅力があります。高速道路での余裕。力強い加速。タンデムや積載時の頼もしさ。そして、大きな車体を操る面白さ。

250ccから400ccへ、そこから750ccや1000ccへ。

興味の範囲が広がっていくのも、バイクの楽しさのひとつです。

販売店で、

「長距離を走るなら、こういう大型モデルもいいですよ」

「大型免許があれば、選べるバイクがもっと増えますよ」

と提案されることもあるでしょう。それも、ごく自然な会話です。乗り方や用途を聞いたうえで、今までとは違うバイクを提案してもらう。そこから新しい楽しみを知ることだってあります。

私が引っかかるのは、そこではありません。大型へのステップアップが「新しい選択肢」ではなく、いつの間にか「格上げ」として語られてしまうことです。

「250ccではまだ半人前」
「大型に乗って一人前」

こうなってしまうと、バイクの性能の話から少し離れてしまいます。排気量が増えることと、ライダーとして偉くなることは別の話です。

すべてのバイクは、メーカーの人たちが一生懸命考え、作られた製品なのです。その部分のリスペクトも大事!

排気量は、そのバイクの個性のひとつ

そもそも排気量は、そのバイクの性格を知るための数字のひとつです。

高速道路を長距離走るなら、大排気量車の余裕はありがたい。逆に街中や細い道では、軽いバイクのほうが気楽だったりします。林道なら250cc前後が楽しいこともありますし、125ccで知らない町をトコトコ走るのもいい。50ccで長い旅に出る人だっています。

どれが上で、どれが下という話ではありません。何をしたいかによって、いいバイクは変わります。大型二輪免許を持っていながら、小排気量車を選ぶ人もいます。それは「大型に乗れない」のではなく、単純に「これが好き」なのかもしれません。

そして、逆も同じです。

「大型なんて日本じゃ必要ない」
「125ccで十分」
「そんなデカいバイク、見栄でしょ」

これだって、方向が逆なだけで同じことです。小排気量車の魅力を語るために、大排気量車を腐す必要はありません。考えてみれば、私自身も長くバイクに乗ってきた中で、知らず知らずのうちに似たような物差しで人のバイクを見たことが、一度もないとは言い切れません。だからこれは、「誰かにやめてもらいたい」という話だけでもないのです。

自分が昔から持っている価値観が、いつの間にか時代遅れになっていることだってあります。それに気づかず振りかざせば、若いライダーから「老害」と呼ばれても仕方がないのかもしれません。だからこそ、自分にも問い直したい。自分の選択を肯定するために、他人の選択を下に置いていないか?と。

最初の一台を「途中」にしなくてもいい

特に気になるのは、バイクに乗り始めたばかりの人に対する言葉です。免許を取って、悩んで、貯金して、ようやく250ccの愛車を買った。本人にとっては、待ちに待った一台です。

そこで、

「どうせすぐ大型が欲しくなるよ」

と言われる。もちろん、その人自身が大型に興味を持っているなら、大いに話せばいいでしょう。

「次は何に乗ろうか」

そんな話は楽しいものです。ただ、本人が気に入って選んだ一台を、最初から「次へ行くまでの途中」にしてしまわなくてもいいと思います。

125ccが楽しいなら、それでいい。

250ccをずっと乗り続けてもいい。

そのうち、もっと大きなバイクに乗りたくなったら、そのとき乗ればいい。

選択肢が増えていくことは楽しい。

でも、排気量が増えることと、ライダーとして偉くなることは、やっぱり別の話です。

誰かに「遊びかた」を説教されることほどつまらないものはありませんよ。

マウントではなく、リスペクトから始めたい

そして、もうひとつ大切にしたいことがあります。

それは、相手へのリスペクトです。

とくに初めて会ったライダーと話すとき、相手がどんなバイクに乗っているのかを知ることは、会話のいいきっかけになります。でも、その排気量を聞いた瞬間に、

「上だ」
「下だ」
「初心者だ」
「まだそのクラスか」

と値踏みする必要はありません。その人が、なぜそのバイクを選んだのか。どこが好きなのか。どこへ走りに行くのか。どんなふうにバイクを楽しんでいるのか。排気量の数字より、そんな話のほうがずっと面白いと私は思います。

知らない人と話すのであれば、なおさらです。バイクという共通点があって、せっかく言葉を交わすことになった。だったら、マウントではなく、リスペクトからコミュニケーションを始めてみる。それだけで、会話の空気はずいぶん変わるはずです。自分とは違うバイクを選んでいる。自分とは違う乗り方をしている。だからこそ、その人の話を聞いてみる。

もしかしたら、そこから自分が知らなかったバイクの楽しみ方を教えてもらえるかもしれません。相手を格付けするより、そっちのほうがよほど得るものがあります。

バイク以前に、人と人との会話です。知らない相手だからこそ、まず尊重する。排気量マウントというのも、結局はそのリスペクトが抜け落ちたときに生まれるものなのかもしれません。

希望の光は、もう見えている

最近は、排気量にあまり頓着せずバイクを楽しんでいる人も増えたように感じます。

125ccでキャンプへ行く。

250ccでロングツーリングをする。

大型バイクを持っているのに、休日はカブで近所を走る。

その日の気分や目的によって、いろいろなバイクを楽しむ。

そういうライダーを見ていると、私はちょっとした希望の光を感じます。「何ccだから」ということより、そのバイクで何をして楽しんでいるのか。そんなところに興味を持つライダーが増えているのだとしたら、とてもいいことだと思います。

限定解除が特別だった時代には、その時代なりのバイク文化がありました。その歴史まで否定する必要はありません。むしろ、それも含めて日本のバイク文化です。

ただ、そこから30年。バイクは大きく変わりました。免許制度も変わりました。楽しみ方も、バイクとの付き合い方も変わりました。だったら、自分も含めて、乗る側の意識も少しずつアップデートしていきたいと思います。

排気量は、バイクの個性を表す数字ではあります。でも、ライダーの価値を表す数字ではありません。それぞれが、それぞれのバイクを楽しめばいいのです。

私自身も、昔から無意識に持っていたかもしれない物差しを、ときどき見直していきたいと思います。相手が何ccに乗っているかより、そのバイクのどこが好きなのか、どんなふうに楽しんでいるのか。そっちに興味を持てるライダーでいたい。

誰かに「アップデートしろ」と言うのではなく、まずは自分から。

そんな小さな意識の変化が積み重なれば、日本のバイク文化は、今よりもう少し気持ちのいいものになっていくと信じています!

(おしまい)


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