懐かしい昭和を探して旅する「昭和レトロ紀行」。スーパーカブ110で栃木県足利市に到着した筆者と息子は、本日の宿に向かった。昭和22年に開業した「ビジネスホテルかわかみ」は、ユーラシア大陸横断をした筆者でさえノックアウトされた凄い宿だった! 何が凄いのかは読んでからのお楽しみ~。
※前回までの記事はコチラ
濃ゆくてトロトロの“モツ定食”からスタート【昭和レトロ紀行 親子栃木編①】
足利と言えば名曲『渡良瀬橋』、ドタバタ聖地巡礼へ!【昭和レトロ紀行 親子栃木編②前編】
夕焼けの『渡良瀬橋』とシックなカフェを満喫、そして怒涛の宿へ【昭和レトロ紀行 親子栃木編②後編】
Contents
1泊4300円? 2名分の料金ですよね?
時はツーリング出発の1週間前にさかのぼる。
何やら足利市に創業70年で、素泊まり1泊2000円台という古いホテルがあるという。その名は「ビジネスホテルかわかみ」。評判をネットで見ると「昭和の風情を残した古びたビジネスホテル」はまだしも、「誰かが廊下を歩くと部屋が揺れるほど老朽化が進んでいる」「畳が芝生」などの感想が(笑)。
一応、電話で予約を入れておくことにした。かなり待った後、おばさまが電話に出る。
2名1室、和室で宿泊したい旨を伝える。「芝生」がどんなものか気になったのだ。
すると「仕事ですか?」と聞かれる。仕事と言えば仕事なので「ええまぁ」と回答。ご主人(?)に聞きながら料金などを教えてくれる。
朝食付き1泊の値段は4300円という。思わず「2名分の値段ですよね?」と聞き返すと1名分との回答。1泊2000円台という前情報のせいや、先日行った新潟県燕市の「ホテル公楽園」(1泊2880円!)の感覚があったためか割高な気がする。いや、冷静に考えてみれば破格なのだが(笑)。なお、1名1室だともう少し価格がアップするそう。
やりとりをしているうちに、おばさまがもう一回「仕事ですか?」と言うので、今度は「えぇ旅行というか」と回答。そんなやりとりがあった。
――そして現在。夕焼けの渡良瀬橋を撮影した後、「ビジネスホテルかわかみ」に向かったのだが、一向に辿り着けない。周辺はJR足利駅付近で、ホテルまで徒歩3分という素晴らしい立地である。しかし、ナビの通りに走っても見つからず目的地らしき付近をグルグルと何周もしてしまう。
15分も走った後、看板が一切ないけどホテルというか旅館らしき建物があったので、中に入ってみる。フロントに誰もいないので声をかけると、しばらくして奥からおばさまが登場! 「コチラかわかみさんですか?」と聞くと「そうです」という。
「なんで看板がないんですか?」と聞くと「屋上に大きな看板があったんだけど古くなったんで壊したんですよ、その時に下にあった看板も全部持っていってもらったんですよ」。理由はよくわからないが、見つかったのでヨシとしよう。
案内されたのは、ツインの洋室だった。
「あれ? 和室って言いましたよね」
「和室がよかったんですか。若い方だから洋室の方がいいかと思ったんで」
「和室にしてもらえますか?」
「そう言われても用意していないので困っちゃう」
「……じゃあいいです」
ベッドで部屋が満たされている(笑)。
「芝生」が見たかったのと、荷物が多いので和室の方がスペースがあると思ったのだが、うん仕方ない。
まず手を洗おうとユニットバスに入ると、なんだか汚い。よく見ると塗装が波打っている。古い設備を上塗りしたようだ。それはともかく、待てど暮らせどお湯が出ないので、凍える冷水で手を洗った。
息子もユニットバスの様子とお湯が出ないことに驚いている。
「なんか不思議な所だね」と息子。
探索もそこそこに、腹が減っていたので夕飯を食べに行った。お目当ての食堂はスーパーカブで10分の場所にあるが、定休日が変わっていて休み! ウロウロして、その辺のラーメン屋で済ませた。
浴場はまさに実家の風呂! 洗い場が寒いぞ!
体が冷え切ってしまったので風呂に入ることにした。
1階に共同浴場があるので下見。おぉ、この感じ実家の風呂みたいだ。お湯の蛇口をひねったのだが、またしても水! おばさまに声をかけると、今からボイラーを点火するという。
「そう言えば部屋でもお湯が出なかったんです」と言うと、「お金かかるからお湯出す時間決めてるんです」との御回答。そんな宿は初めてだ(笑)。
夏場ならともかく、この日は最強寒波の名残で非常に寒く、使い勝手が悪い。さすがの私もマジメになった。
「こちらはお金を払っているんですから、そこはちゃんとして下さいよ」
「いま燃料代かかるので……。じゃあ時間決めてください。いつ使います?」
半ば呆れつつ、夜9~12時ぐらいまでとお願いした。
というわけで風呂。息子と一緒に入るのは久々だ。裸でゆったり語らい合うつもりが洗い場が激サムなので早々に退散した。
古い洋館はホラー味たっぷり、天井が破れている?
ようやく少し落ち着いたので、館内を1人で探検することにした。
1階には階段が3つあり、どうやら建物は3ブロックに別れているようだ。宿泊客は我々2人だけらしく、他のブロックはとても暗い。
ピチョンピチョンと凍結防止のためか、共同の給水所というか洗面スペースから水が滴っている。水音だけが響く薄闇の中、階段を上がり、曲がりくねった廊下を進む。なかなかの雰囲気だ。
何か視線を感じる……。
うーむ、なかなかのホラー感。最後に我々の部屋がある階段。3階にも行ってみたが、真っ暗だ。スマホのライトで照らすとやたら広い天井があり、何やら穴が!
偶然! 『渡良瀬橋』CD発売の30周年に取材していた
部屋に戻ると、息子が「(おばさまに)説教に行ってたの?」と一言。さすがにそれはない(笑)。探検していたことを伝えると怖がっていた。さすがZ世代、幽霊に弱いのだ!?
コンビニでビールとつまみを買っていたので、軽く飲んで寝てしまおう。
息子とポツポツ会話していると、何気なく点けていたTVから「渡良瀬橋」という単語が耳に飛び込んできた。栃木のローカル放送によるニュースで、ちょうど森高千里さんの『渡良瀬橋』を取り上げている。ツーリング当日の前日=2023年1月25日は『渡良瀬橋』のCDが発売されて、ちょうど30周年だったという。
物凄い偶然に私も息子も驚いた。この時はあまり調べずに取材に出ていたので“そんな昔だったのか”と感慨に耽ってしまう。
すると「父さんは30年前と比べて変わった?」と息子。
難しい質問だな、と思う。少し考えてから「ほぼ別人と言っていいぐらい変わったけど、やっぱり変わらない部分もある」と答えた。
それから「今までどんな人と付き合ってきたの」との質問に移った。さすが高校生、「色を知る年齢(とし)か!」(某格闘漫画より)。大した話はないが、少しでも自分の経験が役に立てれば嬉しい。
こうして夜が更けていく。二人だけでこんな話をする機会はそうそうない。お互いにこの夜を思い出す日がいつか来るだろう。
――なお22時頃、手を洗おうとお湯の蛇口を捻ったが、お湯が出ない。「宿として致命的だね」と息子がつぶやいた。
一晩中、壁から怪奇音が鳴り響く・・・・・・
ピチッ、パチッピチャ……、ポツッ、ポッ、ピッ……パチッ。
電気を消し、ベッドに入ったのだが、ずっと壁のあちこちから何かの音がする。音の種類が六つぐらいあって、音の大きさも間隔も不等間隔だ(V型4気筒か270度クランク並列2気筒のよう!?)。
音は結構うるさい上に部屋が寒い。全く眠気が起きず、3時間ばかりベッドの上でモンモンとしていた。
一方の息子は疲れのせいもあり、床について1分ぐらいで規則正しい寝息を立てている。図太い。Z世代と言うと、繊細でひ弱なイメージがあったけど、とんでもない。
そもそも人間を世代などと一括りにして理解しようとするのは、昭和オヤヂが思考停止して「世の中をわかりやすく捉えたい」という浅知恵にすぎないのだ、などとベッドの上で考える。
深夜2時頃エアコンを点けると暖まって寝られたが、1時間もすると寝汗で起きるハメに。なんやかんや合計4時間ぐらい寝て朝8時の起床時間になった。
朝食、そしておばさまのロングインタビューで謎が明らかに?
息子は「よく寝た」と言っている。昭和オヤヂ、完敗である。初日からの腰痛も相変わらずだ。
食堂に朝飯を食べに行った。色々不安があるが、ネットにあった「ご飯は美味かった」との感想に賭けたい。
おばさまとご主人が出迎えてくれて、既に朝食が用意されていた。
朝食は、きんぴらごぼうが大量なのが印象的だった。私の実家は栃木なのだけど、いつもきんぴらごぼうを喰わされていたのを思い出す。
朝食を終え、食堂にいたおばさまに話しかけてみた。
開業したのは、昭和22年(1947年)。足利の親戚を頼って、戦争中に引っ越してきたご主人の母親が商いを始めたという。
本体の施設はその頃に建てられ、あとから改装と増築を繰り返し、今の形になった。
近くの高校とつながりがあり、運動部の団体が主な客という。また、足利は繊維や瀬戸物などの業種が盛んで、営業の人も来ていた。ただ、やはりコロナで客足が遠退き、「もうおしまいですね」とおばさま。昔からの旅館はだいぶなくなり、長年やっているのはウチぐらいですね、という。
以前は従業員もいたが、客が減った今は夫婦で営業を続けている。そのため自分の仕事が増えてしまい「私は何もしない奥様になりたかった」と笑うおばさま。
おばさまは昭和24年生まれ(1949年)。50年前は埼玉の蕨に住んで、大学に通っていたとか。大学を出た後、今のご主人と結婚。ご主人は出版社に勤めていたが、やがて実家のホテル業を継ぐことになった。「まさかこんな職業をするとは全然思わなかった」と話す。
屋上の屋根は、看板を取った際に破れてしまい、順々に修理している最中とのこと。直す気はあるようで、少し安心した(笑)。
看板がない話になり、私が「窓ガラスに紙でいいので貼って置いた方がいいんじゃないですか」と思わず忠告。
「探しちゃうよねー。なんか主人があんまりやる気がないみたいで、そこは若い人がいないからズレてるみたい。看板を取るだけで結構お金かかったからー。常連さんがずっとついてくれていたので、広告がヘタなんですよね」とおばさまが笑う。
お子さんは東京で仕事をしている。ホテルは「今後どうなるか。続くかはわからないですね」とつぶやく。
なお、息子については「会社の同僚」と思っていたらしい。「息子です」と言うと「アラ全然わからなかった」と驚いている。
なんと30分の長話に。昨日、水道管が寒波で破裂したので業者がこれから修理に来るという。昨夜の音はどうやら水道管の水漏れ音だったようだ。
なんだかなぁとは思うけど、悲しみも湧き上がる
それにしても、このテキトーさは高田純次も真っ青だ(ちなみに息子は高田純次に憧れている。全くタイプが違う)。「なるべくカネをかけずにこのまま逃げ切りたい!」という鉄の意志を感じる。
20年前、ユーラシア大陸を横断した際、テキトーな宿がいっぱいあった。それに通じるものが「ビジネスホテルかわかみ」には濃厚にある。私が泊まった宿でもベスト3(ワースト3?)に入るテキトーさだ。
アジアに宿は数あれど、お湯の出る時間を決めている宿は記憶がない。そもそも水しか出ない宿はあるけど、タイなど常夏の国の宿だったし、日本円で300~500円程度と激安だ。それに施設はボロでも、客をもてなそうというホスピタリティのある宿が多かった(この前のホテル公楽園もそうだ)。
ただし話を聞いた状況と時勢を考えると、それを決して責められず、何ともやりきれない気持ちになる。
日本でアジアンチックな宿を体感したい人、テキトーさを面白がれる人はぜひ一度泊まってほしい! 私? 夏ならまぁいいかな~。息子に聞いたら全く同じことを言っていた(笑)。