
▲お馴染みの東京大学大講堂、通称は安田講堂。国の登録有形文化財になっていて観光客も大勢訪れていました
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東京大学の構内にホンダの製品がズラリ
12月4日(木)、東京大学 本郷地区キャンパスにおいて本田技研工業株式会社 取締役代表執行役社長 兼CEOの三部敏宏(みべ としひろ)さんによる講演が開催されました。
この催しは、一般社団法人日本自動車工業会(通称、自工会)に加盟するメーカー各社の経営トップが自ら講師となって、大学生・院生らに向けてものづくりの魅力や業界の今後について直接講義を行う「大学キャンパス出張授業2025」によるものです。
ちょうどジャパンモビリティショー2025(10/30~11/9)の開催年ということもあって、構内の理学部三角広場にはショーに展示されていたニューモデルやコンセプトモデルなどホンダの製品が並べられ、学生・院生らが直接触れたり開発者と話をするなど、講演以外でも盛り上がりを見せたイベントとなりました。

▲モビショーに展示されていた電動二輪コンセプトモデル「EV OUTLIER CONCEPT」

▲新基準原付の「スーパーカブ110ライト」や電動原付二種スクーターの「CUV e:」にも触れられました
いまは変革期! 100年前の革命は「馬車からクルマ」

▲カジュアルスタイルで登壇した三部さん。親しみやすい印象でした
当日、講義会場となった理学部1号館 中央棟・小柴ホールには学生158名、教職員34名の計192名が集まりました。参加学生の9割弱は理系学部の学生で、そのうち6割は工学部の学生でした。やはり理系生徒からの関心が高いようですね。
タートルネックにベージュのブレザーというカジュアルな出で立ちで登壇した三部さんは、「今日はいろんなネタを持ってきました」と軽く挨拶を済ませたあと、軽妙な語り口でモビリティ革命の話から切り出しました。
「自動車産業において100年に一度の変革期ということで、では100年前は何だったのかというと、モビリティが馬車からクルマに移行しました」
「最初の10年は馬車のほうがいいという議論がありました。クルマは排気ガスを出すし、馬は草を食べていくらでも走る。馬車のほうが素晴らしいと」
1908年にアメリカでフォードのT型(モデルTで知られるクルマ)が登場した際、社会からはこのような評価があって、すぐに受け入れられたわけではありませんでした。しかし、その後のクルマの進化によって、最終的には馬に代わる乗り物として受け入れられたのでした。
今の自動車産業もこういう変革期にあり、「そんなところで、我々ホンダはどうするのかという話をしたいと思います」と三部さんは続けました。
「F1がやりたい」と大学では内燃機関学を専攻

▲広島大学大学院工学研究科(内燃機関学研究室)で移動現象工学を専攻されていました
この講義の興味深い点として、企業トップの学生時代や駆け出し時代の話が聞けるということがあります。
三部さんは「私の自己紹介なんてどうでもいいんですけど…」と前置きしたうえで、大学で内燃機関学を専攻してホンダに入社したこと、当時はF1の技術をやりたかったけど、ロサンゼルス等で問題になっていた大気汚染への対応から排ガス浄化技術に携わったことなどを話しました。
その後、本田技術研究所の社長を経て現職になられたわけですが(ホンダ社長就任への社内人事の既定路線)、三部さんは「あまり面白くない」と感じていて、「いろいろ変えようと頑張っている」ことを伝えました。
希望の会社に入社して、当時最強だったホンダF1の技術に携わるという夢は叶いませんでしたが、未来につながる環境技術でやがては社長にまで昇りつめるという、挫折からのサクセスストーリーという見方もできるのかもしれません(誠に勝手ながら)。
これを何の自慢気もなく自嘲ぎみに語っている姿に三部さんの人柄がにじみ出ていました。
ホンダがつくってきたもの。二輪は世界シェア40%!

▲本田宗一郎さんの起業から総合モビリティカンパニーとなった現在まで
続いては、ホンダという会社の紹介です。創業者の本田宗一郎さん、F1参戦、自律歩行ヒューマノイドロボットのASIMO(アシモ)、小型ビジネス飛行機のHonda Jet(ホンダジェット)、EV、ロケットのほか、船外機などのマリン事業、芝刈機・発電機などのパワープロダクツも含めて「ホンダは総合モビリティカンパニーである」ことを伝えました。
中でも「二輪は世界シェアの40%」と、ホンダの中でも“売れている”モビリティだと強調されていたことは、二輪業界に携わる者としてうれしい瞬間でした。
ホンダが考えるこれからの「モビリティ」とは?

▲古来よりモビリティ、エネルギー、コミュニケーションの3つが社会を変革させる主な要因でした
ホンダが考えるモビリティとはどういうものでしょうか? これについて三部さんは、これまでにも様々なイノベーションが起こったなかで、大きく分けると「エネルギー」「モビリティ」「コミュニケーション」の3つである、そしてこれらが融合して新しいものになっていくと説明しました。
そして、研究所にいた頃(8年前)に「次に何をやろうかと検討したときに描いた」という一枚絵をスクリーンに映しました。
2040~50年くらいを想定したもので、「1個1個を見ると、けっこうちゃんと今はトレースできています」。会社では「3Dモビリティ戦略」と呼んでいるそうで、宇宙も含めた陸海空でモビリティは3次元化していくだろうというものです。
月の裏側にいるアバターロボット(分身ロボ)を操作するなど、ロボティクスも含めてそんな世の中になるだろう、そんな世界観を持ってクルマやバイク以外の新しいモビリティもやっていこうじゃないかということでした。

▲三部さんいわく「人工衛星を使った通信はイーロン・マスクさんのスターリンクよりも先に絵はできていました」
ホンダの創業からこれまでの歩みと現在

▲ホンダの事業は、二輪車で創業後、レース活動、汎用機開発、四輪開発、海外進出、航空機開発などを経て現在に至ります
ホンダが考えるモビリティの将来ビジョンについて伺った後ですが、ここではホンダの創業からの歩み、そしてビジョンに向かうための現在の重点事業について語られました。
終戦から3年、創業者の本田宗一郎さんが、山を越えて闇市に出かける奥さんのために、自転車に軍の無線機用発電機のエンジンを乗せて、それを商品化。1948年に20人くらいで会社をスタートして1954年には世界最高峰のバイクレース、マン島TTレースに出場しました。
小さな会社の頃から世界を見据えていました。1982年にアメリカで初めて四輪車の現地生産をしたのもホンダです。ドル安・円高への誘導で日本の輸出産業が打撃を受けたプラザ合意(1985年)の後は、他のメーカーもアメリカでの現地生産を始めましたが、当時のホンダはそれ以前に「需要のあるところで生産する」という方針でした。
現在は、モビリティ、ロボティクス、パワーユニット、エネルギーの4つのカテゴリーからは「あまり外れないように」という方針のなか、四輪・二輪・パワープロダクツ・航空・レース等といった事業を行っています。

▲2025年の世界販売位実績が2,798.8万台でした。ちなみに二輪車の販売台数は、日本で22.4万台、アジアで1,747.8万台、北米で54.8万台、その他地域で184.7万台となっています
現在のホンダは、1年間で約2,800万台の商品を販売し、売り上げでいうと21兆円、グローバルで従業員数は約20万人という「世界一のパワーユニットメーカー」です。
前編はここまで。後編では、エンジニア出身の三部さん自身がホンダのものづくりの本質について語るほか、学生への質問にも熱心に答えてくれています。お楽しみに!
