埼玉県から延々と国道4号を北上し、「昭和レトロ」を巡るツーリングに出発した筆者。最後の目的地「人力車&昭和レトロ館」は昭和の空間を再現しており、実に楽しい。後編にして完結編の今回は、展示の後半と名物館長の談話を余すところなく披露しよう!

 ※これまでのおさらい
【昭和レトロ四番勝負】わりぃ今オレ東京駅でメシ食ってんだわ【その一】
【昭和レトロ四番勝負】”一番星”桃次郎に遭える? 「TS」寄ってくか!【その二】
【昭和レトロ四番勝負】オトナ空間で’80年代に強制タイムスリップ【その三】
【昭和レトロ四番勝負】CB750フォアもあるヨ! まさにそのものズバリのテーマパーク【その四の一】

ベースはヤマハのジョグ、レアなオート三輪だ

昭和ならではのアイテムを取り揃え、昔の風景が楽しめる「人力車&昭和レトロ館 新風亭」(栃木県那須町)
酒屋を再現したエリアには、日本グランドの「ピアピア」というオート三輪が置いてある。ヤマハの50ccスクーター、ジョグをベースにしたミニカーで、生産は昭和50年代。フォルムが実に愛らしく、これで走ったら楽しそう! 前日に悩まされた雨もモチロン関係ない!

↑かなり稀少な日本グランド「ピアピア」。しかし、なんちゅう車名だ(笑)。今のバイクにもこういう遊び心が必要なんじゃないか、と思ったり。

 

↑メーターにはYAMAHAの文字。初期ジョグの流用だろうか? ハンドルはかなり絞ってあります。最高出力は3.6ps/6000rpm、車重98kgとかなりヘビー。なんとバックギアもある!

 

↑展示を見ているうちに、当日の仕事でご一緒したヤングマシンの松田編集長と内外出版社広告部の酒井さんと合流。さっそく写真を撮ってもらった(トップ画像も)。

時を忘れて昭和黄金期の映画ポスターに魅せられる

続いて、映画ポスターが貼ってあるエリアと、モノクロの記録映画などを上映しているミニシアターがある。

壁一面に1950~60年代、日活、東宝、東映、松竹、大映ら邦画黄金期のポスターが貼られている。
中には文字だけで構成された縦型のポスターがあり、いかにも昭和らしい。それにしてもキャッチコピーがオモシロイ。

例えば……、
「子供はニタリ、大人はドキリ! ハダカの現代っ子を笑いと涙で綴る珠玉篇!」
「髪がくずれます 裾がみだれます 帯がほどけます 上様、その手を離して下さいませ!」
「この子供産んじゃおかしら…。私は女・考えて見れば当たり前 どうして男は驚くの………!?」(…=三点リーダーの使い方が文によって違う!)

ポスターを一つひとつ眺めているだけで時間が経ってしまう。

↑歴代『男はつらいよ』のほか、昭和映画のポスターがズラリ。

 

↑成人映画のポスターはキャッチコピーも書体も凝りまくり!

ついにピッカピカのCB750フォアがお出ましだ

映画エリアを出ると、おっとありました待望のCB750フォア。やはり、いつ見ても風格がある。

1969年(昭和44年)にデビューした初代は、量産車として実質的な世界初の直4モデル。油圧ディスクブレーキも世界初のシステムだった。600cc級の2気筒が最速の時代に736cc直4を引っ提げ、最高速200km/h超の実力はまさに桁外れ。バイクの歴史を塗り替えた1台だ。

展示車はデビュー2年目の1970年に登場した「K1」。非常にキレイな状態だ。
初代のK0では砂型鋳造だったクランクケースを量産に適した金型鋳造に変更。サイドカバーがスリット入りの角型からスリットのない丸みを帯びたタイプになった。

このバイクが発売された翌年に自分は生まれたのだ。そう考えると、感慨深い。

↑1970年型のCB750フォア(K1)。強制開閉キャブを採用し、スロットルワイヤーは1→2本に変更。タンク形状なども見直された。エンジンはSOHC2バルブ736cc空冷直列4気筒で、最高出力は67ps/8000rpmを発生。

 

↑背後には梅宮辰夫がCB750フォアに乗る『男・番長流れ星』のポスターが! 芸が細かい。

 

↑メーターは220km/hまで刻まれる。深緑の文字盤は、後にCB1100で再現された(初代2010年型から2016年型まで)。

ジュークボックスで昭和歌謡を満喫! 私が選んだのは・・・・・・

続いてレコードの展示エリアへ。ジュークボックスが置いてあり、大音量で昭和歌謡が流されている。

↑LPにシングル盤など昭和のレコードを多数展示。

 

↑ちなみにトイレにはこんな標語が。

 

↑トイレ前にて。ゴメン待たせたな! 広末涼子は平成のハズだけどヨシとしましょう。原寸大だとすればかなり小柄ですね。

 

レコード展示エリアをブラブラしていると、館長から「何か聞きたい曲はあるかい?」と声をかけられた。

曲目の中から沢田研二の『勝手にしやがれ』をリクエストした。発売されたのは1977年だから、私は6歳。テレビに映るジュリーとこの曲をよく覚えている。あの頃のジュリーは私にとって特別なヒーローな気がするのだ。

曲をセットした館長がジュークボックスの中を開けて見せてくれた。実にサービス精神旺盛な方だ。

中身を初めて見た。多数のレコードを縦にセットした回転台が、レコード針のある位置まで動き、イントロが流れ出す。アナログのようなハイテクのようなシステムだ。
おぉ音も抜群にいい!

↑ジュークボックスの内部。「壊れたら部品あるんですか?」と館長に聞いたら、「なければ作ればいい!」と一喝。

元々は人力車が始まりだった? 館長インタビュー(のようなもの)

その流れで館長に話を訊いてみる。

「なぜ昭和レトロ館を始めんですか?」
「語れば長いよ! 人生は。教えられないよ!」
話が終わってしまった(笑)。それでも頑張って聞き出しみるとオープンしたのは8年前。前回記事で書いたとおり展示品は全て館長の私物で、レイアウトも自分で考えたという。

「私A型で繊細だからね」

話を訊いている最中、館長は時折「パァーン」と手を合わせ、歌舞伎の見栄を切るようなポーズを取るのだが、これがまたオモシロイ。この仕草から役者をされていたのかと思い、尋ねてみると
「いーや、その上だ!」
ポスターがあったので「菅原文太さんに似てますね」と言うと、「それ以上だよ!」との御回答。

さらに話を訊いてみると、どうやら昔は人力車に関する仕事をされてきたそうだ。観光、結婚式、テレビの撮影協力などをしてきたとのこと。

↑珍しい人力車も多数展示。乗って記念撮影もOKだ。


「人力車は昭和より昔ですよね」と軽くツッコんでみる。
館長は「俺は人力車に惚れた男だから。人力車ってのは明治3年3月24日、大江戸日本橋開業。明治5年は来年一万円札になる渋沢栄一が冨岡製糸場建設、あとは国鉄、今のJRが開業したのが明治5年。(パァーンと手を合わせる)努力の結晶だよ。な」と一息にまくし立てる。

気圧されて「そうですか!」と返事をすると、
「人力車は後ろ側の写真を撮ってきな、絵柄が入ってるから。いま日本で人力車ってのは4人しか造ってない。長崎、山口、岐阜高山、浅草、ぜんぶ知り合い。日本の伝統文化の一つ、人力車を伝えるためにこういう施設をつくったんだよ(パァーン!)」とまたも一気に解説してくれる。

「こんな施設は他にはないよ、情熱がない人間ばっかりだから。先人の思いに立つ。一から学ぶ。そうするとこういう施設をつくりたくなる」

なるほど(笑)。意訳と想像を交えて整理してみると、まず人力車があり、温故知新の気持ちでこの昭和レトロ館を開業されたようだ。

↑人力車の背後には繊細な絵柄が。背中で語るのがイキってことなんでしょう。

 

↑「昔おばちゃんが使ってた足踏みのミシン機をテーブルにしてるんだよ、こういうアイデアを写真に撮るんだよ」(館長)。机上のオモチャも懐かしい。

旅の終わりに。「情熱があれば金は後からついてくる」

一通り見学も終わり、長居したので帰ることにした。その間際、CB750フォアについて聞いていなかったのを思い出した。
「あんなのは手に入ったから置いてるだけ。あのバイクは50年前、新車価格は38万5000円。今は10倍20倍します。あんなに程度いいのないから。お金で買えない生き方をするのが人生だから。お金に執着がないから豊かな人生が歩める。
今の子供はみんなカネカネカネ。だからいい仕事できないの。情熱があれば、お金なんて後からついてくるの。そういう生き方してみな。ラクだし、必ず金はついてくるから」

ここで例の「パァーン」を決めると、帰りのドアを開けて、
「じゃあお気をつけて!」
と送り出してくれた。

↑名物館長(右)とのツーショット! 撮影はヤングマシンの松田さん。

 

――なんとも不思議な体験だった(笑)。
確かに昭和レトロ館の展示物はすごい。しかし難癖をつけるようで恐縮だが、「その三」で訪れたオートパーラー「ゲーム24SAITO石上店」を見てきたせいか、キレイすぎて私にはどこかリアルな感じがしなかった。テーマパークなのだから仕方がないとはいえ、陳列された物品はかつて生きていたけど今は死んでいる標本のように感じたのだ。

しかし、館長がいると話が違ってくる。昭和には館長のようなオヤジがたくさんいた。人によっては若干ウザいかもしれないが(失礼!)、豪快で熱血。そして少し優しく、どこかシャイでもある。館長こそ「生きた昭和」だ。

展示物と館長がセットだからこそ、この昭和レトロ館はオモシロイのだ。

今回のツーリングを改めて振り返ると、そんな昭和を生きた人との出会いがとりわけ印象に残っている。昭和レトロなスポットを求めながら、そこにまつわる人々が実に楽しかった。

彼女、彼らを思い出しながら、埼玉の自宅までの家路につくとしよう。スーパーカブ110による下道でのトコトコした歩みは、出会った人々の来し方にふけるのに、とても似つかわしい気がする。

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