昭和の香りを求めて、スーパーカブでまったりとツーリングする“昭和レトロ紀行”。たまごサンド研究所を出て、次に向かったのは戦争の爪跡を残す橋だ。第二次大戦時の機銃掃射の痕がいまだに残っているという。

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建造は大正期、100年の歴史を刻む

神奈川県西部をツーリングする新旧スーパーカブ110+おっさん御一行。今回はスペシャルゲストとして松田さん(元ヤングマシン編集長 現在は内外出版社 二輪編集局・統括編集長)とブラブラしている。

さて前回のたまごサンド研究所でまたも腹を満たした後、国道412号を中津川に向けて北上した。
目的地まで約4km。10分もかからずに到着だ。こじんまりとした灰色の鉄橋がある。名前を「平山橋」という。

↑ひっそりと佇む平山橋。橋長112.71m、幅員4.5m。駐車場はないが、バイクなら交通の邪魔にならず停車できるだろう。■神奈川県愛甲郡愛川町田代201

 

この橋が造られたのは大正期だから、100年ほど前だ。現在はアーチが3連になっているが、大正2年(1913)に1連のみ鋼橋として建造。他は木製で、現在の形になったのは大正15年(1926年)だったという。

↑ご覧のとおりリベットで溶接されたトラス構造で味わい深い! こうした橋で大正期に作られたものは貴重なため、国の登録有形文化財に指定されている。

 

↑橋の南側に歴史の説明と登録有形文化財のプレートがある。なお説明板によると、かつて橋の上流70m付近の川中に数本の松が茂る小島「稲荷森」があったそうだが、昭和30年代末頃、治水を理由に取り除かれたという。

終戦間近に米軍の機銃掃射を受けた痕が

「大正なら昭和レトロじゃないじゃん」という声が聞こえてきそうだが、実は昭和にもしっかり関わりがある。

太平洋戦争末期の昭和20年(1945年)7月10日。米軍の機銃掃射を受け、その弾痕が橋に残っているからだ。令和に残る、数少ない戦災跡なのである。平成15年には近隣に平山大橋が開通。幹線道路橋としての役割を終え、今は歩行者・自転車専用道路となっている。

当時、この辺りは田園地帯だったらしい。なぜ空襲を受けたのかは調べてもわからなったが、死傷者が出たようだ。逃げる人々はさぞ恐ろしかっただろうなと思う。

正午頃なのだけど、ちょうど逆光で写真が撮りにくい。反対側に渡るため、近代的な平山大橋を通って北側へ移動した。

↑北側からの眺め。ベタなやつ笑 もちろん巨匠・松田カメラマンが撮影! バイク走行禁止の看板が妙に目立つ!

 

二人で橋を渡ってみた。

↑北側の橋のたもとに「大正拾五年六月竣成」の文字。

↑「東京月島 安藤鐵工所製作」と書いてある。大正から存在し、潜水艦の製作にも協力。昭和50年まで橋梁製作に実績があったそうだ。

 

それにしても味がある。「やっぱり橋もバイクもトラスですよね」と松田さん。同意しかない(笑)。どこか見覚えがあるなと思ったら、そう、昭和レトロ紀行で足を運んだ栃木県足利市の渡良瀬橋だ。

↑味わいがあった渡良瀬橋。思い出深いツーリングだった。下記記事もご参照を。

 

足利と言えば名曲『渡良瀬橋』、ドタバタ聖地巡礼へ!【昭和レトロ紀行 親子栃木編②前編】

夕焼けの『渡良瀬橋』とシックなカフェを満喫、そして怒涛の宿へ【昭和レトロ紀行 親子栃木編②後編】

 

歩きながら弾痕を探してみたが、なかなか発見できない……が、松田さんはいとも簡単に見つけてしまう。

↑これとか……

↑これ……

↑恐らくこれも。そこまであちこちに弾痕があるわけではないようだ。

 

「この鋼板に穴が開くぐらいだから相当な威力だったんでしょうね・・・・・・」と松田さん。思わず厳粛な気持ちになってしまう。

 一通り見学を終え、再び撮影。松田さんがカメラマン魂に目覚め、いろいろ撮影してくれた。

↑トップ画像に使った写真も巨匠の一枚。

↑平山橋の周囲は山が迫る。いつもソロツーリングなので走行写真は撮りにくいが、こんな写真を撮れるのも二人旅ならでは。

↑こちらは筆者撮影。黄昏ている松田氏。 恐らく「仕事に戻りたくねぇなー」と考えているに違いない。

 負の記憶を残しつつ、町のランドマークとして生き続ける

 戦時中、この平山橋などの地域で民間人が犠牲になった。2024年の今もウクライナやイスラエルなどで平山橋と同様のことが起きているのだから人類は変わらない……と暗い気持ちになってくる。第2回から間が空いてしまったが、こうした悲しい歴史が筆を遠ざけていたのだ(ということにしていただきたい)。

それにしても、こんな生々しく戦争の記憶が刻まれている建造物もまず見かけない。実に稀少な橋である。

とはいえ、悲惨な記録としてだけ平山橋が残されているわけでもないようだ。イベント時はLEDでライトアップされたりと町のランドマークの一つとして今も現役で活躍している。 

↑ちなみにこんな看板も。取材時は令和5年11月30日なので看板は外さずにそのままになっていたみたい。

↑イベントでなくても夜間はこのような幻想的な光景に。写真は愛川レッドカーペット運営事務局(https://aikawaredcarpet.com/)より。


さて、松田さんは会社で会議があるとのこと。「・・・・・・行きたくない」とボヤきながら上野に向けて旅立っていった(笑)。
私も名残り惜しいが、こればかりは仕方ない。
賑やかだった二人旅から急に一人になり、周囲を静けさが包む。こうなると、自分の中に入って己と対話していくほかない。

つくづく一人旅と、誰かと一緒の旅は違うなぁと思う。誰かとの旅も文句ナシに面白いが、一人旅には全く別の愉しさがある。
どこに行ってもいい、何をしてもいい。自分と対話しながら物事を決定して進んでいく。まさしく自由な一人旅は旅の原点だなと思う。そんなことを考えながらカブに火を入れた。

<続く>

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