昭和の香りを求めて、スーパーカブでまったりとツーリングする“昭和レトロ紀行”。たまごサンド研究所を出て、次に向かったのは戦争の爪跡を残す橋だ。第二次大戦時の機銃掃射の痕がいまだに残っているという。
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建造は大正期、100年の歴史を刻む
神奈川県西部をツーリングする新旧スーパーカブ110+おっさん御一行。今回はスペシャルゲストとして松田さん(元ヤングマシン編集長 現在は内外出版社 二輪編集局・統括編集長)とブラブラしている。
さて前回のたまごサンド研究所でまたも腹を満たした後、国道412号を中津川に向けて北上した。
目的地まで約4km。10分もかからずに到着だ。こじんまりとした灰色の鉄橋がある。名前を「平山橋」という。
この橋が造られたのは大正期だから、100年ほど前だ。現在はアーチが3連になっているが、大正2年(1913)に1連のみ鋼橋として建造。他は木製で、現在の形になったのは大正15年(1926年)だったという。
終戦間近に米軍の機銃掃射を受けた痕が
「大正なら昭和レトロじゃないじゃん」という声が聞こえてきそうだが、実は昭和にもしっかり関わりがある。
太平洋戦争末期の昭和20年(1945年)7月10日。米軍の機銃掃射を受け、その弾痕が橋に残っているからだ。令和に残る、数少ない戦災跡なのである。平成15年には近隣に平山大橋が開通。幹線道路橋としての役割を終え、今は歩行者・自転車専用道路となっている。
当時、この辺りは田園地帯だったらしい。なぜ空襲を受けたのかは調べてもわからなったが、死傷者が出たようだ。逃げる人々はさぞ恐ろしかっただろうなと思う。
正午頃なのだけど、ちょうど逆光で写真が撮りにくい。反対側に渡るため、近代的な平山大橋を通って北側へ移動した。
二人で橋を渡ってみた。
それにしても味がある。「やっぱり橋もバイクもトラスですよね」と松田さん。同意しかない(笑)。どこか見覚えがあるなと思ったら、そう、昭和レトロ紀行で足を運んだ栃木県足利市の渡良瀬橋だ。
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歩きながら弾痕を探してみたが、なかなか発見できない……が、松田さんはいとも簡単に見つけてしまう。
「この鋼板に穴が開くぐらいだから相当な威力だったんでしょうね・・・・・・」と松田さん。思わず厳粛な気持ちになってしまう。
一通り見学を終え、再び撮影。松田さんがカメラマン魂に目覚め、いろいろ撮影してくれた。
負の記憶を残しつつ、町のランドマークとして生き続ける
戦時中、この平山橋などの地域で民間人が犠牲になった。2024年の今もウクライナやイスラエルなどで平山橋と同様のことが起きているのだから人類は変わらない……と暗い気持ちになってくる。第2回から間が空いてしまったが、こうした悲しい歴史が筆を遠ざけていたのだ(ということにしていただきたい)。
それにしても、こんな生々しく戦争の記憶が刻まれている建造物もまず見かけない。実に稀少な橋である。
とはいえ、悲惨な記録としてだけ平山橋が残されているわけでもないようだ。イベント時はLEDでライトアップされたりと町のランドマークの一つとして今も現役で活躍している。
さて、松田さんは会社で会議があるとのこと。「・・・・・・行きたくない」とボヤきながら上野に向けて旅立っていった(笑)。
私も名残り惜しいが、こればかりは仕方ない。
賑やかだった二人旅から急に一人になり、周囲を静けさが包む。こうなると、自分の中に入って己と対話していくほかない。
つくづく一人旅と、誰かと一緒の旅は違うなぁと思う。誰かとの旅も文句ナシに面白いが、一人旅には全く別の愉しさがある。
どこに行ってもいい、何をしてもいい。自分と対話しながら物事を決定して進んでいく。まさしく自由な一人旅は旅の原点だなと思う。そんなことを考えながらカブに火を入れた。
<続く>