今や「VRXって知ってる?」と尋ねれば「ブリヂストン製スタッドレスタイヤ、ブリザックのブランド名だよね!」と返される世の中になってしまいました(涙)。
しかし忘れないでください。珠玉のV型2気筒パワーユニットをロードスポーツタイプの車体に積んだ、非常にイケてるモデルがホンダから発売されていたのです!!
●はい、というわけでホンダ「VRX Roadster」です。1995年8月5日より発売が開始され、398㏄水冷V型2気筒OHC3バルブエンジンは最高出力33馬力/7500回転、最大トルク3.5㎏m/6000回転でミッションは5段変速。シート高は770㎜、車両重量205㎏(乾燥重量は190㎏)、燃料タンク容量が11ℓと少なめですが、60㎞/h定地燃費は37.0㎞/ℓでしたから、単純計算した満タン航続距離は407㎞となりますね。税抜き価格は52万9000円(消費税3%込みだと54万4870円)。デビュー時の公式リリースに書かれていた年間の販売計画台数は8000台でありました〜
CB1100という夢の結晶【後編その2】へはコチラ!
新たなVツインロードスポーツの挑戦が始まった!
阪神・淡路大震災&地下鉄サリン事件の発生、金融機関の相次ぐ破綻、ウインドウズ95発売、そして筆者的なお約束としては「新世紀エヴァンゲリオン」の放映が開始された年……。
●1995年の秋、「決戦兵器は、14歳。」というテレビ東京のポスターが気になって、たまたま第壱話を視聴したのが運の尽き。2021年の「シン・エヴァ」まで引きずられるとは思ってもいませんでした(笑)。コラボマシンが鈴鹿8耐に参戦したり、エヴァカラーのヘルメットが発売されたり、趣味と仕事が一緒くたになったときは面白かったなぁ……
とまぁ、総じて物騒で暗い世相のなか、寝ても覚めても“小室ファミリー”誰かしらの歌声が耳へ入ってきていた、そんな1995年の8月に、
●ルーズソックスが流行ったのもこのころ。ヤマンバは……もうちょっと後か
「力強く鼓動感溢れる走り味が楽しめる味わい深くシンプルなフォルムのロードスポーツバイク」(←公式リリースそのまま)として登場したのがホンダ「VRX Roadster」でした。
どことなくゼファー(400)を彷彿させるカタチの燃料タンクから連なるシートや、サイドカバー、リヤの2本サス、テールカウルに至るまで、ホンダ広報から山葵(わさび)色の封筒でモーターサイクリスト編集部へ届けられたプレスリリース内に入っていたポジフィルムをライトボックスの上に並べてルーペを使って見た瞬間、「よく言えば端正、悪く言えば没個性的な外装パーツの集合体だなぁ……」と27歳だった筆者はナゾの上から目線で断を下した記憶が残っております。
●パールプラズマティックうんたらかんたらブルー……とかいう15文字を超えるような色名がフツーは付けられているものなのですけれど、ナゼかネットで閲覧できる「VRX ロードスター」の公式リリースには記載なし(カタログは手元になく……)! というわけで写真のブルー、ズッと上で紹介しているレッド、そしてブラックという3色で最初期型は展開されました。う〜ん、令和5年の今、じっと広報写真を眺めていると、大いにアリなスタイリングに思えてきましたよ〜
しかし、パッと見で目に入る外観のシルエットこそ大人しいものですが、このバイクのキモはシンプルな構成で優れた剛性バランスを持つ丸型断面鋼管ダブルクレードル式フレームの中に、ドドンと搭載されている「スティード400」から譲り受けた水冷V型2気筒エンジンでしょう!
●水冷エンジンでありながら空冷のような美しいフィンがシリンダー面に施された「VRX ロードスター」のパワーユニット(写真はカラーチェンジを受けた1996年以降のモデル)。ノペッとしたヘッド部分に隠されているのは吸排気合わせて3バルブ、かつツイン(1気筒あたり2本の)スパークプラグというなかなか変わった機構で、そちらに関しては次回タップリと紹介させていただきます!
そう、「VRX ロードスター」紹介するとき、ほぼ400%の確率で枕詞のように出てくるのが「スティード400用のVツインエンジンをモディファイして採用し……ウンヌン」といったフレーズ。
……と、ここまで書いてから改めて調べて驚いたのは、ホンダ「スティード400」の最終型となる2001年モデルが世に出てから、すでに22年が経過しているという事実!
デビューに至っては1988(昭和63)年ですから、今からもう35年も前デスヨ……。
●1988年と言えば瀬戸大橋、青函トンネル、東京ドームなど大型開発事業が相次いで竣工された年。生まれてない読者の方も多い……ですよね。筆者は新成人でした〜
イマドキでナウでピチピチな(?)ヤングライダーの中には、今回のネタである「VRX ロードスター」のベースにもなった、大ヒットモデルすら知らない人もいるかもしれない……。
というわけで英語で「馬」、「軍馬」という意味の名前を持つ、1990年代に一世を風靡したホンダ「STEED」というバイクについて、少々寄り道をして語ることにいたしましょう。
第二次アメリカンブームを巻き起こした張本人!
ホンダ「スティード400」……いやもう、とにかく売れた売れた、売れたったら売れた。
●1989年型「スティード400/600」カタログより。写真の手前が600のティラーバー型ハンドル仕様。奥が400のフラットバー型ハンドル仕様。400はティラーバー型も選ぶことができました。1988年デビュー時の価格は400が59万9000円、600が62万9000円だったのですが、消費税3%がスタートした1989年には400の税抜き価格が55万6000円(3%消費税込みで57万2680円)、600が58万4000円(同60万1520円)となる、お買い得感の高い価格改定が行われたのです
とはいえ……正直、1988年1月にデビューした「スティード400/600」の最初期型はとても静かな船出だったのです。
●年式が前後して恐縮ですが、こちらが1988年デビュー時の「スティード400」です(エンジンの最高出力は30馬力/7500回転 ※以下同)。何と言っても目新しかったのはリヤセクションがリジッド(路面からのショックを緩衝する装置がない固定式の後車軸)風だったこと。実際にはシート下にショックユニットが存在しているのですけれど、このスタイリッシュさは見事でした(モノクロスサスを採用したヤマハのモデルもありましたが、リジッド風には見えない……)。その後、この機構をライバルたちがこぞってマネをしてきます(笑)
5年前の1983年にホンダがデビューさせた「スティード」の前身となるモデル「NV400カスタム」は、寸詰まり感のあるスタイリングとレーサーレプリカ全盛期という時代も悪かったのか、
●1983年3月1日、400㏄クラス初の(横置き)V型2気筒エンジン搭載車として華々しくデビューしたホンダ「NV400 CUSTOM」……なんと同日に(縦置き)V型2気筒エンジンを積む「CX CUSTOM」もデビューさせたのですから、本当に“HY戦争”当時のホンダというのは凄まじいエネルギーを無制限放出していたのだなぁ……と驚くしかありません。跳ね上がったアップハンドルにティアドロップタンク、段差のあるキング&クイーンシートなど、当時の和風アメリカン(ジャパニーズアメリカンでジャメリカンと揶揄する人もいましたね)文法に沿った、いい仕上がりっぷりに思えるのですが……
まったくもっての鳴かず飛ばず。
個性に溢れていたスティード登場以前のライバルたち
1970年代後半から“LTD”モデルが人気を博していたカワサキは、1985年には“ハーフニンジャ”とも呼ばれた水冷並列2気筒エンジン(45馬力/9500回転!)を積むカワサキ「EN400ツイン」(1990年に同形式のエンジンで「バルカン400」へと移行)を……、
●根強い人気を集めていた「Z400LTD」の後継として登場した「EN400 TWIN」。“ハーフニンジャ”とは、前年登場した「GPZ900R」のエンジンをまさに真っ二つにしたような構成のエンジンだったため付けられたニックネームですね。ベルトドライブを採用して静粛性・耐久性の高さもアピールしていました。このまた後継のパラツイン「バルカン400」は1990年から1994年まで続き、1995年からはVツインの「バルカン/-Ⅱ」が登場……と、なんともややこしいことになっていったのです(クルーザーあるある)
1986年2月には斬新なドラッグレーサースタイルに水冷並列4気筒エンジンを搭載した「エリミネーター400」を発表(「EN400ツイン」は継続されて併売)。
●“ニュースーパークルーザー”を標榜しつつ、GPZ400Rベースのエンジンを搭載して登場した「Eliminator 400」(54馬力/1万2000回転!)。映画『イージー・ライダー』の世界観を追い求めてきた和製アメリカン群とは一線を画すドラッグマシン的なデザインと走りと使い勝手がウケて10年続くロングヒットモデルに……。そして今また、「ERIMINATOR」の名を持つ新車がラインアップしていることも感慨深いですね
1987年1月には空冷ビッグシングルのスズキ「サベージ LS400」が、
●コチラで紹介した「テンプター」のベースともなった「サベージ LS400」……(24馬力/7000回転)。改めて見ると本当にインパクトのあるスタイリングをしておりますね〜。並列2気筒エンジンを積んだ、それまでの「GSX400L」とは吹っ切れ方が違います。しかし、スティードの大ヒットを横目に見て、1994年には水冷Vツインの「イントルーダー400」をリリースいたしました
同じ1987年3月には流麗なスタイリングに空冷Vツインを積むヤマハ「XV400 ビラーゴ」が、
●1970年末から1980年代初頭にかけて、カワサキ“LTD”シリーズとともに、第一次アメリカンブームを盛り上げたヤマハの“Special”シリーズ(1978年に登場した「XS650 special」がその始祖)。1983年にデビューしていた「XV400 スペシャル」の後継機として登場したのが写真の「XV400 ビラーゴ」でした(40馬力/8500回転)。「タンク、小っちゃ!」と驚かされますが、それはダミーで実際の燃料タンクはシート下にあり、8.6ℓの容量を確保……ホッ
個性的なライバルたちがどれも一定以上の人気を博した400㏄クルーザー(いや、当時はまだジャンル的には“アメリカン”と呼ばれていましたね)の世界でホンダは苦戦を強いられていたのです。
VRXの誕生につながるスティード昇り龍伝説!
ならば! と、まさに“アメリカンの本場”にある拠点……米国ホンダと日本の開発陣が強力なタッグを組んで、とにかくカッコいいクルーザーを創出しようと協力。
●1989年型「スティード400/600」カタログより。400のフラットバーハンドル仕様。どうですか、このリヤのリジッド(硬くて曲がらないという意味)フレーム風な雰囲気は〜。なのにいざ走らせてみるとリヤフォーク(スイングアーム)は適切に動き、ブ厚いクッションのシートと相まって極上の乗り心地を提供。そのシート高も680㎜と低いので跨がったままのちょっとした方向転回も楽に行えます。600と共通の大きめな車体なので、ステイタス性もバッチリ……
リジッド風(リヤサスペンションの機構&ショックユニットが外からは全く見えない)の足まわりを導入しながら、ロー&ロングの伸びやかなスタイリングを実現した捲土重来リーサルウェポンを開発し、晴れて「スティード」として売り出した……のですけれど、前述のとおりコテンパンにやられてしまったモデルの後継だけに、デビュー時のリリースに記載されている年間販売計画はとても控えめ。
●1989年型「スティード400/600」カタログより。こちらも400のフラットバーハンドル仕様です。なお、変速機は400が5段ミッションで600がワイドレシオの4段ミッション……残念ながら筆者はスティード600に乗る機会を得なかったのですけれど、4段変速の走り味はどんな風だったのか、いまだに夢想してしまいます。“幻の5速”をひたすら探すだけになりそうですけれど(^^ゞ
同時にデビューした600が1500台(このころはまだ“限定解除”が幅を効かせていた時代)だったのに対し、400は2種類のハンドル違いを合計しても3000台とヒジョーに低く見積もられていました。
単純な比較は全くできないとはいえ、同じ1988年末にマイナーチェンジを受けた「NSR250R」のリリースにおける年間販売計画が2万3000台でしたから、まぁ、そういうことです(笑)。
●いわゆる“台形パワーカーブ”を標榜した1989年型「NSR250R」のことですね。個人的には熱狂のレーサーレプリカブーム“終わりの始まり”を告げたモデルだったなぁ……という印象が強いです。ちなみにNSR250Rは一体何台が売れたのか……という非常に興味深いテーマについて掘り下げたウェブサイトがございますので、興味がある方はコチラ!
街がゼファーとスティードであふれかえった……!?
潮目が変わったのは1989年、カワサキ「ゼファー」の登場からでした。
●ちょうどモーターサイクリスト編集部へアルバイトとして潜り込んだ1990年〜。まさしくゼファー大旋風の渦中に巻き込まれた当事者としては、この写真を引っ張り出してくるたびに様々な思いが去来いたします。もう30数年前の話ですか……。いまだに元気に走っている姿をよく見るので嬉しくなってしまいますね。優しい姿と性格をしているのにレプリカブームにトドメを刺したアサシン!?
この欄でももう耳にオクトパス(←そっちじゃない)ができるくらい言い続けてまいりましたが、兵庫県神戸市(カワサキの本拠地)から、そよそよと吹き始めた“西風”は、瞬く間にレーサーレプリカブームをも吹き飛ばす風力12レベルの暴風となってライダーの意識すら一変させてしまったのです。
「目ェ三角にして峠を攻めなくてもええやん」
「馬力なんてホドホドでええやん」
「土下座するような這いつくばったカッコでバイクに乗らんでもええやん」……。
「サーキットタイム短縮こそが全てに優先する絶対正義!」といった時代も後押しした集団催眠(?)が一斉に解けて、
●よくあるテレビショーで催眠術師が「サン! ニィ! イチ! ハイッ!!!!」と掛け声をかけたがごとく、驚くほど速やかにステージは移りゆくもの。変化し続けなければ取り残されてしまうのです……
猫も杓子も「ゼファー」を欲しがって文字どおり供給が追いつかなくなる事態へと陥るなか、
「ん? ゼファーよりもっと足着き性が良くて、ライディングポジションも楽チンで、限定解除しなくちゃ乗ることもできない憧れのハーレーによく似たVツインのバイクがあるじゃん……」とネイキッドよりさらに安楽な世界を求めたい向きに“再発見”されたのが「スティード」だったのです。
折しも1990年6月、新たにシートバック(背もたれ)を標準装備して発売されるや人気がハイパー大爆発!!
●1990年型「スティード400/600」カタログより。いや、それまでも税抜き価格1万5000円の純正アクセサリーとして「シーシーバー」が設定されていたのですけれど、そのステー形状を大きく変更し、ガッツリ目立つような形状で標準装備化した途端に人気が大爆発したのですから、本当にバイクビジネスというのは不思議なところがあります。
1992年3月のカラーチェンジ時リリースでは年間販売計画が9000台と跳ね上げられ(600は1400台)、1993年1月のマイチェン時リリースでは1万5000台(同1900台)、1994年1月のカラーチェンジ時のリリースでは、ついに1万8000台の年間販売計画が予定されるという異常なほどの大好評ぶりへ到達……(ちなみにそのとき600は1600台)。
ただ、残念ながら公式資料で確認できる年間販売計画の数値はこちらが最高到達点となりました。
ライバルメーカーが「STOP THE STEED」へ一斉蜂起!
というのも、1994年4月にスズキが(イントルーダー400)、1995年2月にはカワサキが(バルカン/-Ⅱ)、「スティード」同様の水冷Vツインエンジンを搭載した400㏄クルーザーを市場へ投入。
●写真は1995年型カワサキ「バルカン-Ⅱ」でフラットバーハンドルのモデル。同時に出たプルバックハンドルの仕様が「バルカン」と名乗りました(※公式には「400」が付かない。ともに33馬力/8500回転)。兄貴分である“800”をベースとしているだけに、威風堂々たる車体が特徴的。この後、「クラシック」や「ドリフター」といったバリエーションモデルも登場し、モーターサイクリスト誌の「国産車オールアルバム号」を担当していた筆者はてんやわんやに(←本筋に関係ないですね、失礼しました)
1996年2月からは、ハーレーっぽい空冷Vツインエンジンをビラーゴから継承しつつ、さらにさらにロー&ロングなスタイリッシュデザインで登場した強力なライバル、ヤマハ「ドラッグスター400」の出現もあり、
●1996年型ヤマハ「ドラッグスター400」(33馬力/7500回転)。いやぁ〜、カラーリングといいロー&ロングを極めたスタイリングといい、やはり「いちいちカッコいいヤマハ」の力作は何年経っても色あせません。シート高なんて650㎜ですからね……なお、車名なのですが公式のリリースとホームページでの紹介名からして違っており(ヤマハあるある)、「DragStar400」「XVS400」「DS4」など多彩な名前が入り乱れて「国産車オールアルバム」担当としてはしっちゃかめっち(以下略)
1990年代後半になると、長らく続いた「スティード」一強時代は終わりを告げていきます……(以降の紆余曲折までしっかり説明してある、筆者の後輩が熱筆をふるったウェブサイトはコチラ!)。
クルーザーの心臓をロードスポーツへ移植して誕生!
が、そんな「スティード」人気がピークに達していた1995年に、その心臓を譲り受けたカタチのネイキッドロードスポーツとして登場したのが「VRXロードスター」というわけなのです。
●予想外に(?)長くなってしまいましたが、みんな大好き「スティード」あってこその「VRXロードスター」なので、当時の400アメリカン……もとい、クルーザー市場で「スティード」がどれだけ“無双”したのかを紹介したかったのです。あ〜、スッキリした〜(笑)。書き切れなかったモデル後半の(やりすぎ?)スタイル大変革や「シャドウ400」との微妙な関係、ライバルとの最終決戦……などの面白ネタはまた別の機会に……
もちろん車体右側Vバンク(シリンダーとシリンダーの間)にあるエアクリーナーカバーを逆三角形から丸い形状にしただけ……ではなく、より高回転域まで気持ちよく吹け上がっていくようなエンジン特性とするべく、吸排気系を含めてファインチューニングを敢行し、最高出力はスティード比で3馬力アップの33馬力へ、最大トルクも0.2㎏m太くなった3.5㎏mへと向上していました。
●「スティード」とはエキゾーストパイプの取り回しが異なっている「VRX ロードスター」(写真はカラーチェンジを受けた1996年以降のモデル)。水冷であることを極力感じさせない、フレーム形状に沿った縦長のラジエターは本当に秀逸なデザインだと、長年思っております。休憩中に「これ何㏄? ハーレーじゃないの?」と近寄ってくる“ナンシーおばあちゃん&おじいちゃん”の8割は「これ、2800㏄空冷エンジンなんですよ」とダマせるはず!?
……「VRX ロードスター」のパワー感、フィーリング、トータルでの乗り味などに関しては次回以降でタップリとご紹介させていただきますが、今回注目したいのが、そのエンジン!
“シリンダー挟み角52°”のVツインはダテじゃない!
実はこの「スティード」&「VRXロードスター」が採用したエンジンのVバンク挟み角……つまりシリンダーとシリンダーのそれぞれクランクシャフトへと向かう中心線が形成する角度は52度(以下「°」と表記)なのです。
●挟み角が少なすぎるとエアクリーナーやキャブレターなどを収めるスペースが狭くなる。かといって大きく広げたらエンジン前後長が長くなりラジエターやバッテリー、タンク、サスペンションほかの配置が難しくなるし、操縦安定性にも影響が出てくる……。この悩ましい二律背反をどううまく高い次元でまとめるかが、技術者の腕の見せどころなのです!
ざっくり言って、ハーレーの空冷Vツインやスズキのイントルーダー400系は45°、カワサキのバルカンVN400が55°、ヤマハのビラーゴ&ドラッグスター系なら70°、ちなみにドゥカティのLツインやホンダVT250F、スズキのSV650などは90°……と比較的スッキリした数値のバンク角が多いなか、ナゼに52°などという中途半端にも思えるVバンク角をホンダは採用したのか?
●「打倒RZ250! 4ストで2ストに勝つ!!」という崇高な目的のもとで開発され、一次振動がないメリットを背景に最高で43馬力(/1万2500回転)まで絞りだした「VT250F」の249㏄90°水冷V型2気筒DOHC4バルブエンジンが、27馬力までデチューンされてクルーザーモデルに搭載される日が来ようとは1980年代には想像すらできませんでした。しかし1994年6月、ホンダは「V-ツインマグナ」を発売開始。これがまた良くできていて超絶感動! ……とまぁ、そんな与太話はともかくV型エンジンの挟み角が大きいと車体構成はこうなる、という一例として写真を挙げさせていただきました
実はこのエンジンを搭載した元祖の元祖となる「NV400カスタム」(1983年3月発売)&「NV400SP」(同年5月登場)が、パワフルでヒュンヒュン回る狭角(←ここでは挟む……ではなく文字どおり狭いという意味です)Vツインエンジンを目指してしまったからなんですね。
●1983年型「NV400 Custom」カタログより。キャッチコピーが「ザ・ニュー・エイジ・アメリカン400」ですよ。1983年当時は、メーカー自ら“アメリカン”と名乗っていたのですなぁ。「このころまで日本のメーカーは、米国ハーレー・ダビッドソン社に遠慮……というか配慮(?)してVツインエンジンを積極的に作ってこなかったんだ、日本勢がVツインを作るとアッという間にハーレーのシェアを奪ってしまいハーレーが倒産しかねないからね……」と先輩に聞いた記憶があります。結局、1980年代始めの危機をハーレーが自ら克服したので、日本勢が堂々とVツインを作り始めた……とか。ウソかマコトか、時期を同じくして国産のVツインモデルが増えていったのは事実です
そして「位相クランク」というナイスアイデアが生まれた
と、いうのも、90°Vツインなら理論上“0”にすることができる一次振動(ピストンの往復運動に伴ってエンジン回転……クランクシャフト1回転につき1回の周期で発生する大きな振動のこと)は、90°より狭いシリンダー挟み角だとどうしても出てきてしまうもの。
そちらを打ち消すためにはエンジン内部に“バランサー”を組み込むことが一般的なのですが、当然ながら構造は複雑化しますし重量や燃費の面などでも不利……。
というわけで血で血を洗う狂乱のHY戦争真っ只中、アタマの回転に限界寸前のブースト圧がかかり続けてキレッキレになっていた(?)ホンダ開発陣は、「Vツインエンジンは2本のコンロッドを同じクランクピンの位置=同軸になるよう設計するもの」という常識を疑ってかかり、紆余曲折したのち、一次振動を“0”にする理論数式【χ=180-2(α)】を完成!
●こちらが位相クランクの構造です。通常のVツインエンジンでは下図のように2本のコンロッドが1本のクランクピンを共有しているのですが、位相クランクではクランクピンが2本のコンロッドそれぞれに……つまり2つ存在しています。結果としてクランクウェブも3枚になってますね。このアイデアを製品化するため、ホンダは高度な鍛造技術も開発したのだとか……[図版は1983年型「NV400 カスタム」カタログより抜粋]
それに基づき「52°Vツインならクランクの片方を76°位相させれば一次振動は発生しない」ことを導き出して徹底検証し、「Vツインエンジンが持つ2本のコンロッド。そのクランクピンの位置を大きくズラし、それぞれにコンロッドを締結して取り付ければうまくいく」……という〈位相クランク〉テクノロジーによって常識外れの発想を具現化したのですから、ハンパないって!
●このV型2気筒エンジンの位相クランクは、シリンダー挟み角が45°の場合だとクランクピンの片方を90°位相させれば成立する(一次振動が“0”になる)ことも知られています。実はそんな位相クランクを採用したVツインエンジンがホンダの大排気量クラスには数多く存在したんです……。そうです、アレですよ、超有名なアレ……(笑)。そのあたりは次回、必ずご紹介いたします![図版は1983年型「NV400 カスタム」カタログより抜粋]
かくして完成した挟角52°水冷V型2気筒OHC3バルブエンジンはロードスポーツである「NV400SP」の仕様で、最高出力44馬力/9500回転、最大トルク3.5㎏m/8000回転というパフォーマンスを発揮。
●1983年型「NV400SP」……前後ホイール&ブレーキといい、小ぶりなビキニカウル……いやメーターバイザーの形状といい初代「VT250F」の大人しいお兄さんといった雰囲気ですな。ちなみにアメリカ〜ンな「NV400 カスタム」版エンジンの実力は最高出力43馬力/9500回転、最大トルク3.5㎏m/7500回転……「SP」とほぼほぼ変わっとらんやないか〜い!とエセ大阪人になって怒り出してしまいそうな僅差があるのみ。ドコドコッという鼓動感を楽しみながら、のんびりゆっくりクルージング……という感じではなさそうですね
後日、モーターサイクリスト編集部の大先輩O氏に「NV400SP」の乗り味を聞いてみたところ、「とてもスムーズに良く回りたがるエンジンだったね。それでいてVツインの鼓動感も多少はあったから面白かった。トラクションが良好だったので攻めたコーナリングも気持ちよかったよ。とはいえ、生まれた時代が悪すぎたな……」とのこと。
アルミ骨格に狭角Vツインを積んだニクいヤツも登場!
そして1988年、「スティード」と同じ1月に出た“ソレ”も忘れては話になりません。
そうです、G感,BROS.というキャッチコピーも意味不明……いや、印象的だった「ブロス プロダクト2」です。
●今のご時世では絶対に使えそうもないキャッチコピーとともに、尿意をガマンしているようなカッコいいモデルさんがアッチを向いている写真が「BROS」カタログ表紙の次に来る見開きページですからね。その文字列を必死こいて読み込んでも、筆者には「で、結局G感ってナニ?」という疑問が残ってしまいました。ときの流れ? そりゃ「時間」。大臣を補佐する人? そりゃ「次官」。老けた男? そりゃ「爺さん」。不祥事を起こした政治家? そりゃ「辞意遺憾」……もうやめておきます
こちらもNVシリーズの魂を受け継ぐ狭角52°水冷V型2気筒OHC3バルブエンジン……なのですけれど、ボアとストロークはともに大きく変更を受けており、NVシリーズのいかにもエンジンをブン回す気マンマンなビッグボア×ショートストローク(71.0㎜×50.4㎜)という方向性から、ブロス&スティードは低い回転域でも十分なトルクを……という、ほぼスクエア(64㎜×62㎜)なボアスト比となりました。
●400版のエンジン性能は「スティード」が最高出力30馬力/7500回転・最大トルク3.3㎏m/5500回転だったのに対し「ブロス」は37馬力/8500回転・3.5㎏m/6500回転で、明らかに「ブロス」のほうが高回転型……。その理由は下で述べております。そんな「ブロス」の400版……正式名称は「ブロス プロダクト・2(ツー)」というのですが〜これも支持が薄かった理由!?〜1988年登場時価格は55万9000円と、同年の「スティード400」より4万円も安かったのです!
●ゼロから新規開発されたアルミ製ツインチューブフレームにφ41㎜の極太(当時)フロントフォーク、さらには片持ち式のアルミ鋳造リヤスイングアーム(プロアーム)や大竜巻をイメージして新設計されたというトルネードホイール……。今見ると全身これ高コストパーツのカタマリ! ヨダレが止まらない車体構成ですなぁ……
そしてここが肝心なのですけれど、「ブロス」は一次振動なく気持ちよく吹け上がる〈位相クランク〉を採用しましたが「スティード」は〈非位相クランク〉……つまり、一次振動が発生する同軸クランクをあえて導入し、鼓動感をマシマシにしているのです。
●1990年型「スティード400/600」カタログより。価格は400の税抜き価格が56万9000円(3%消費税込みで58万6070円)、600が59万9000円(同61万6970円)でした。なんと当時の公式リリースに書かれていた年間販売計画は「600」が1000台で「400」は3000台……。本当にスティード人気は底を打っていたのです。ゼファー(ネイキッド)ブームが巻き起こっていなければスティードは短命で生産終了、VRX ロードスターなんて世にも出るはずもない世界線だってありえたのです……
これはクルーザーを購入するユーザーの趣味趣向をホンダがよく調査し、適切な対応をしたからにほかなりません。
そしてどちらも自在に製造することのできる技術&応用力の高さよ……。
残念ながら「ブロス」は幅広い支持を受けることができず1990年のマイナーチェンジ版が最終型となってしまいましたが、「スティード」は前述のとおり超がつく大ヒットモデルへと躍進。
かくして「VRXロードスター」、スティードからホンダの400クルーザー路線を受け継いだ「シャドウ400」シリーズもまた狭角52°〈非位相クランク〉Vツインエンジンを採用している、ということなのです。
●1997年3月に発売されたホンダ「Shadow(シャドウ)400」。1990年代中盤からアメリカン……いやクルーザー市場では嗜好が変化して、前後ディープフェンダーにファットタイヤ&肉感的なタンク類などを持つ威風堂々としたスタイリングのモデルが人気急上昇。それらは俗に“クラシック”系と呼ばれていたのですが、ならば!とホンダは「スティード」を残したまま、新たにクラシックモデルとして「シャドウ」を投入。結果的にこちらのほうが2016年ころまで生き残ることに……
……と、いつもながら大いに寄り道してしまいました。
次回は、もう少しエンジン内部のことに触れつつ、バイク雑誌屋時代に体験した「VRXロードスター」に関するあれこれを語っていく予定です!
●Let's meet again!
あ、というわけで「VRXロードスター」につながるモデルへ綿々と使われてきた400㏄狭角52°Vツインエンジンは、そんじょそこいらのことでは音を上げないタフネスさも売り。アフターサービスも万全なレッドバロンの良質な中古車を購入すれば、安心度が2倍増しということですね。まずは、お近くの店舗まで足を運んで何でも気軽に相談してみましょう!
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