ハーレーとの嬉しい再会!
こんにちは青木タカオです。昨今、SNSやメディア、あるいはイベントなどで『バイク女子』がご活躍されております。
昭和世代になら「まるで峰不二子!」といえば伝わるのでしょうか。統計的に見ても男性が多いライダーの中で、華麗にオートバイを操り、颯爽と走る姿はじつにカッコイイものです。
ジェネレーションギャップも『ルパン三世』ほどの名作なら、ないのかもしれません。モデルでインフルエンサーの阿部なつきさんが、「令和の峰不二子」と称されているWEB記事を見たことがあるので、峰不二子の知名度の高さは昔も今も変わらないようです。
話は逸れましたが、さらにリケジョ(理工系女子)だったり山ガール(登山する女性)など、〇〇系女子や〇〇ガールという呼ばれ方があれば、〇〇系男子や〇〇メン(メンズ)など男性を指す呼び名も、昨今ではよく耳にします。
ボクが編集長を務める『WITH HARLEY(ウィズハーレー)』にも、ハーレー女子がたくさん誌面に登場します。昨年11月、北九州市公設地方卸売市場にて開催された『ヒルズマーケット北九州』にウィズハーレーは出展し、そこでもまたハーレー女子を取材させていただきました。
ローライダーS/2020年式に乗るYUMEさんです。令和の峰不二子はここにいます! 愛車はとことんカスタムされていて、ハイスピードにもたえるビキニカウル&トールスクリーン、長いライザー(ハンドルクランプ)によってワイルドに持ち上げられたハンドルバー、加速時もライダーをしっかり支えるガンファイターシートなど、アメリカ西海岸に端を発した「CLUB STYLE(クラブスタイル)」と総称されるカスタムトレンドがふんだんに盛り込まれています。
YUMEさんがまだビギナーだった頃、2023年4月におこなわれた「BLUE SKY MEETING FUKUOKA(ブルースカイミーティング福岡)」で取材したのが初めてで、それ以来今回は2度目の取材、ウィズハーレー誌への掲載となりました。
老若男女を問わず、仕事柄いろいろな人を取材しますが、イベントなどで「お久しぶりですっ!」と、またお話しさせていただくのは何よりも嬉しいことです。今回もまた「YUMEさん、元気でした?」と、バイクライフを満喫しているご様子をいろいろと聞かせてもらいました。
「バイク女子仲間とツーリングに行くのが何よりも楽しい」と話してくださるYUMEさんですが、この日はご主人であるYU-YAさんもイベントにご同行されていました。

▲YUMEさんとご夫婦でクラブスタイルにローライダーSをコーディネイトしつつカスタムし尽くしたYU-YAさん。ダイナモデルの最終、ツインカム110エンジン搭載のプレミアムモデルFXDLSはたいへん貴重です。撮影:青木タカオ
YU-YAさんもまたローライダーSに乗っているのですが、YUMEさんが乗るM8(ミルウォーキーエイトエンジン)搭載モデルではなく、その先代にあたる『ダイナ・ローライダーS』が愛車。細部に至るまで徹底的にカスタムされているのですが、クラブスタイルでYUMEさんの乗るローライダーSと巧みにコーディネイトしつつ、センス良く仕上げた2台をペアで乗っているのですから、イベント会場でも熱視線を浴びます。
専門誌編集長としては、見逃すわけにはいきません! キュートなYUMEさんはもちろん、イケメンすぎるYU-YAさんにも今回はウィズハーレー誌、さらにはYouTubeチャンネルにご出演していただきました。
カスタム内容などを詳しく教えていただくインタビューのご様子は、ウィズハーレーのYouTubeチャンネルにて動画でご覧いただけますので、興味のある人はぜひチェックしてみてください!
門司港にある名店へ
そんなふうに日中はしっかりと取材(仕事)をし、一応は(!?)働いたボク。夜は自分へのご褒美が必要です。北九州を訪れたら行きたいのが門司港駅。そして今回、どうしても足を運びたいと願っていたのが、門司区清滝にある“角打ち”の人気店『魚住酒店』です。
酒屋さんの一角で、お酒を飲むことを“角打ち”と言います。八幡製鐵所が開業した明治時代に、三交代制で働く労働者のために昼夜を問わず飲める場所として発展していきました。
ボクが育った東京の下町にも角打ちはたくさんあり、子どもの頃から大人たちが酒屋さんで立って飲んでいる姿は馴染みあるものでした。数はかなり減りましたが、おじさんになったボクはたまに角打ちで無性にのみたくなったりします。
ご一緒していただいたのは、取材はもちろん、イベントへのブース出展のお手伝いなど、お願いすればなんでもオールマイティーにこなしてくださる凄腕モーターサイクル&自転車ジャーナリストの大屋雄一さん。
かつて、BIG MACHINE編集部の見習いアルバイトだったボクですが、その当時からすでにライター&編集者として、ご活躍されていた大先輩です。ここでは前回の記事「気分は東京オリンピックのメグロK1白バイ!? 松戸市七草マラソン大会にバイクで参加!! アフリカエコラリー結果発表!!」から続いてのご登場になります。
「魚住酒店」は昭和4年から続く老舗。ボクたちが宿泊するホテルのある小倉駅から電車に乗り、まずは最寄駅の門司港へ。夜になっていたので、閉店時間を過ぎてしまったらいけないと思い、大屋さんと走って行きました。門司港駅から少し離れた、住宅街の細い坂の途中にあり、調べてから訪れなければ見つけるのは難しそうです。
灯りがついていて、外から見ても昭和情緒のあるノスタルジックなムード。店内もまたそうで、遅くに来た二人をご夫人が迎えてくださいました。
酒屋さんですから、ビールは冷蔵庫から自分で取り出して栓を抜きます。コップも置いてあるものを自分で用意します。忙しなく流れる時間が止まっているかのような、心地よいムードの店内。昔の写真を眺めつつ、大好きな瓶ビールで喉を潤すのは、最高のひとときです。
大屋さんは日本酒。店主におすすめの銘柄を聞き注文すれば、グラスにヒタヒタまで注いでくれます。量り売りのお酒を購入したことになります。
東京の下町にある角打ちもそうですが、長居はいけません。さっと飲んで次へ行きます。北九州の名店を訪れることができて感無量でした。
連絡船に想いを馳せて
鉄道オタクのボクはJR門司港駅が大好きです。ツーリングの取材で来たのが最初で、ネオルネッサンス様式のレトロモダンな駅舎に感激したのですが、ボクの琴線に触れるのはなんといっても関門連絡船跡です。
本州と九州を結ぶ輸送機関として、明治34年5月に発足した関門連絡船は、およそ半世紀にわたってその使命を果たしました。最盛期の1941年(昭和16年)には、下関丸、長水丸、豊山丸などの新鋭船を擁し、関門海峡を1日平均53往復し、年間880万人(1日あたり約2万4000人)が利用したのです。
門司港駅で下車した旅客は、関門連絡船に乗るために、この関門連絡船通路を通って港に行ったのです。活況だった当時に思いを馳せると、もう興奮が収まらないのはボクだけでしょうか。
1942年(昭和17年)に関門海底トンネルが開通し、1944年(昭和19年)にはトンネル線路が複線化。さらに 1958年(昭和33年)に関門国道トンネルが開通したことで、1963年(昭和38年)には年間での利用者が40万人に減少。1964年(昭和39年)10月31日午後10時40分、門司港桟橋の最終便を最後に、その63年にわたる栄光の歴史を閉じました。
■■■関門海峡のトンネルや橋が開通した時期
●1942年(昭和17年)関門鉄道トンネル
●1958年(昭和33年)関門国道トンネル/人道トンネル
●1973年(昭和48年)関門橋(高速道路)
●1975年(昭和50年)新関門鉄道トンネル(新幹線)
大陸への玄関口であった痕跡
そして、ボクが見るたびに鳥肌が立ち、同行者がもしいれば必ず熱弁を振るうのが、戦争末期に軍の命令で設置された渡航者の監視孔跡です。
門司港は外国航路寄港地のため、関門連絡船の通路は戦時下には、通行する者を監視しなければなりません。監視孔は反対(中)側からのぞく内部がわかりにく構造で、横にはかつての入口が塞がれた跡が残っています。コンクリートの壁に細長く作られた小さな孔から、大陸から渡って来た人や発つ人を監視したのです。
今回は大屋さんに、ずっと熱くなりつつ、こうしたことを語り尽くすボクでした。
歴史ある駅ホームの立ち食いうどんへ
小倉駅に戻り、北九州のソウルフードとして名物となっている「かしわうどん」をいただきます。在来線1・2番ホームの1号店と、7・8番ホームの2号店があり「どっち派」と言われるほどどちらも人気があります。今回は7・8番ホームへ。
経営しているのは創業明治24年、九州最古参の老舗駅弁当として、九州の鉄道の歴史とともに歩んできた歴史を持つ北九州駅弁株式会社。小倉駅のホームで立ち食いうどんを始めたのは昭和30年代ですから、駅のホームで70年も愛されている老舗です。
たっぷりのかしわ肉(鶏肉)とかまぼこ、ネギ。秘伝のタレで甘めに炊き込んだかしわ肉がたっぷり入ったうどんは、かつおと昆布をベースにした優しい出汁の香りに包まれています。
柔らかめの麺で、適度な弾力があり喉ごしもいい。スープが絡み、とても美味しいです!
あぁ、これを書いていると、また北九州へ行きたくなってきます。とまぁ、今回はここまでにしておきましょう。最後まで読んでくださり、ありがとうございました。