並列4気筒エンジンを搭載した美麗なるスズキのネイキッドシリーズ“BANDIT”始祖となる400から遅れること半年、弟分である250が1989年12月に登場いたします(モデルイヤーとしては1990年型となりますネ)。その頃の日本バイク業界は進化のビッグバン……まさに”カンブリア大爆発“状態。今見れば奇妙キテレツ(?)な車両も山ほど発売されていたのです。

1992年バンディット250カタログ

●1992年型「バンディット250」カタログより。“見つけたのは、美しい記憶。”ですよ。こんなキャッチコピーを臆面もなく打ち出せたのも、車両の仕上がりと売れゆきの良さに対する自信の表れ。エンジンはレプリカ譲りでも鉄製フレームを作り直して、丸型ヘッドライトと端正なフォルムを獲得する新世代の“シン・ネイキッド”ダービーで、ライバルたちが迎撃体制を整えるまでたっぷり1年以上かかるほど、バンディット250はクオーター(分かる?)並列4気筒ロードスポーツ市場を先んじていたのです

 

バンディットという美学【前編】はコチラ!

バブル好景気の終末期。みんな浮かれてました

時は1990年。

イラクのクウェート侵攻で湾岸危機が高まり、音速の貴公子アイルトン・セナがマクラーレン・ホンダMP4/5Bを駆ってF1チャンピオンに輝き(あのセナプロ接触@鈴鹿の末に……)、ロードレース世界選手権ではヤマハYZR500(0WC1)にてウェイン・レイニーが初タイトルを獲得。映画『ダイ・ハード2』が公開、『ふしぎの海のナディア』もNHK総合(!)で放映され、浅田真央さん、柳楽優弥さん、ゆりやんレトリィバァさんらも生まれた平成2年

●写真は「ふしぎの海のナディア VOL.01」[DVD](販売元:キングレコード)。監督は“シン・〜”シリーズでもおなじみ庵野秀明氏、樋口真嗣氏。金曜日19時30分からというゴールデンタイムで放映されたSF活劇ですが、あんな凄い展開になるなんて……!! 現在はAmazon Prime Videoほか複数のサービスでインターネット視聴も可能となっておりますので、ぜひ!

 

まだまだ二輪業界は元気イッパイでありました。いやもう、とにかく新車の種類が多かった! 

オンロード(レーサーレプリカ・ネイキッド・ツアラー・スポーツ)、オフロード(ビッグオフ・デュアルパーパス・トライアル※アドベンチャーやトラッカーという概念はまだ広まっていない)、クルーザー、スクーター、スリーター、レジャー、ビジネスに至るまで、幅広く多彩なカテゴリーが存在しており、

ジャイロX

スリーターとは「ホンダ ジャイロX」(写真は1989年型)や「ホンダ ジャイロ キャノピー」などのように、“スリーホイールでスイング機構を持ち、2輪車の軽快性と4輪車の快適性を合わせ持つ乗りもの”という意味あいでホンダが定義した三輪スクーターの総称。元祖は1981年デビューの「ストリーム」で、他にも女医……いや「ジョイ」、「ジャスト」、「ロードフォックス」がございましたね。現在もジャイロ系は現役バリバリでEVシステムを積んだ電動版も登場するなど、ますます意気軒昂なのでありまスリーター!

 

なおかつ2ストロークor4ストローク、水冷or空冷がセレクトでき、エンジンの形状(単気筒・並列2気筒・V型2気筒・並列4気筒・V型4気筒・水平対向6気筒……店頭在庫を含めればV型3気筒スクエア4気筒もまだあったかしら〜!?)も、そして排気量も49~1520㏄に至るまで選び放題&買い放題、百花繚乱そりゃもう大騒ぎのコンコンチキですよ。

NSR125F

●当時のイケイケぶりを象徴する存在だと筆者が勝手に思っているのがホンダ「NSR125F」です。1989年6月から遠くホンダイタリア・インダストリアーレ社より1000台限定で正規輸入発売された、リアルにイタリア製のスポーツバイクで当時価格は44万5000円(←税抜き:以下同)。セルモーター付きの水冷2スト単気筒エンジンはRCバルブ-2付きで22馬力/1.8㎏mのパフォーマンスを発揮。金色に輝くグリメカ社製アルミフレーム〈ALCAST〉がなんともバブリシャスでありました(燃料タンク容量10ℓ・車両重量135㎏・シート高780㎜)。2023年現在、実動車を所有しておられるオーナーは何人いらっしゃるのかなぁ……!?

 

今回の主役、バンディット250が組み込まれる“250ロードスポーツ”ジャンルにも、1980年代の後半から次世代の覇者を模索したチャレンジングなモデルが山ほど登場しておりました。

ポストレーサーレプリカをめぐる試行錯誤の数々

筆者の独断と偏見で印象に残っているバイクたちをここでザッと紹介していきますと……

1987年4月 ホンダ VTZ250

VTZ250

●押しも押されもしない大ベストセラーモデルの2代目「VT250F(MC08)」のハーフカウルをはぎ取って端正な丸目ヘッドライトで登場した「VT250Z」。ともに成功したことを受けてベースモデルが3代目「VT250F(MC15)」に進化したときもノンカウルモデルが速攻で登場しました。それが写真の「VTZ250」だったのです。当時価格は39万9000円(燃料タンク容量13ℓ・車両重量159㎏・シート高745㎜)。改良を加えられたVツインエンジンはVT系空前絶後の43馬力を発揮しつつ定速で巡航すれば燃費も抜群! 実は筆者も購入し、全国各地へのラーメン聖地巡礼キャンプツーリングに大活躍してくれました

 

1988年1月 ヤマハ TDR250

TDR250

●今で言えばオン志向の強いアドベンチャーモデルとなるのでしょうか? レーサーレプリカ「TZR250」譲りの水冷2スト並列2気筒・45馬力エンジンをオフロード走行も考慮したシャシーへと搭載した特異な存在が「TDR250」でした。前年1987年ファラオラリーでプロトタイプがクラス優勝したこともニュースになり、47万9000円と同年のTZR250より8万円安い戦略的価格もあって一躍ヒットモデルへ(燃料タンク容量14ℓ・車両重量151㎏・シート高820㎜)。エンジン前方でクロスしているアップチャンバーがタマリマセンでしたな~。オーナーの方は全員“激速”という印象もあります。弟分のTDR80/50も注目を集めましたね

 

1988年3月 ホンダ TLM220R

TLM220R

「ロードスポーツやないやん!」という怒号が1億2000万読者様から聞こえるようですが、まんまトライアルマシンといった車両も当時“公道も走れる市販車”として堂々と販売されていたのです。箱根ターンパイクだって堂々疾走できたのです。マジで(だからロード、いや“堂々スポーツ”……苦しい?)。216㏄空冷2スト単気筒ピストンリードバルブエンジンは13馬力/2㎏mのパフォーマンス(燃料タンク容量6ℓ・車両重量95㎏〈現在の筆者より軽い!〉・シート高770㎜)で価格は36万9000円。もっと言えば2年前の1986年4月に4ストの「TLR250R」も出してますからね、ホンダは。そしてヤマハもライバルとなるTY250(Z)シリーズをずっと販売してました。時代よ……

 

1988年6月 スズキ WOLF

スズキウルフ

●3ヵ月前にデビューしたばかりのNSR対抗Vツイン2ストレプリカ「RGV250Γ」(56万9000円)からフルカウルを取っ払った……だけでなく、フロントブレーキのシングル化、ライポジ見直し、ミッション変速比&リヤスプロケ変更、エンジンを黒く塗装、サーボモーターカバー新設など手間ヒマかけて“裸”にした車両が「ウルフ」でした(燃料タンク容量17ℓ・車両重量144㎏・シート高755㎜)。45馬力、有名な『街はウルフだ。』とのコピーや迫力あるスタイリング(DC-ALBOXフレームの存在感!)、その名に違わぬ爆裂加速力も最高で価格は50万9000円。なんで売れなかったんでしょう? スズキはいつも35年早い(汗)

 

1988年12月 ホンダ VT250 SPADA

VT250スパーダ

●『セナさんの自分時間が、はじまる。』と同(1988)年、初のF1ドライバーズタイトルを獲得したアイルトン・セナ選手を広告キャラクターにしたことでも有名な「VT250スパーダ」(燃料タンク容量11ℓ・車両重量153㎏・シート高740㎜)。当時世界初となる一体成型アルミ鋳造技術を駆使した“CASTECフレーム”を中心に据えた、デザインといいカラーリングといいイタリア~ンな雰囲気はバンディット250に通じるところがありますね。なぜみんなイタリアに傾倒していたのか(笑)? 水冷4ストVツインは低中速域を強化した40馬力仕様となっており、当時価格は49万8000円。なお、スパーダとはイタリア語で“剣”とのこと

 

1989年2月 スズキ GSX-R250R ①(←後述・以下同)

GSX-R250R

●レプリカ的な外観ながら扱いやすさをウリにした1987年登場の「GSX-R250」から一転、FZRとCBRがジャンルをノシていたことにブチ切れ(?)「出るとこ出たらぁ!」とばかりSP250Fレースでもライバルを一蹴するべく戦闘モードで開発されたのが「GSX-R250R」(59万9000円)でした。「コブラ」にも踏襲されたアルミツインスパーフレームにサブフレーム付きスイングアーム、調整範囲の広い前後サスや強力な制動力を誇るTOKICO製ブレーキキャリパーなどを全力で注入し走行性能は一躍トップクラスへ(燃料タンク容量13ℓ・車両重量164㎏・シート高730㎜)。ただ、顔が“ウーパールーパー”だったため(以下略)

 

1989年9月 スズキ COBRA ②

コブラ

●上で紹介した「GSX-R250R」からフルカウルを取っ払い、街乗りでの楽しさをさらに高めるウルフとほぼ同様の“おこだわり”モディファイが施された4スト45馬力のネイキッドバージョンが「コブラ」(53万9000円)です。毒蛇コブラが威嚇行為をしているような緊張感ある張り出しを見せる左右ラジエターシュラウド(RADIAL FLOW RADIATORと金文字で記載=湾曲したラジエターだったのです)が一番の見せ場ながらイマイチな雰囲気が漂っておりますね(燃料タンク容量13ℓ・車両重量160㎏・シート高730㎜)。残念ながら漫画や映画の『コブラ』のようには大ヒットしませんでしたから、速攻で販売は終了……(汗)

コブラカタログより

●せっかくなので「コブラ」カタログ内より筆者の妄想がレッドゾーンに達した素晴らしいビジュアルをご紹介。当時、彼女いない歴=年齢と同じというまるでイケてない大学生だったため、このようなシチュエーションには身悶えるほど憧れたもの。せめて形から入ろうと白いタンクトップを買い求めた苦い記憶が……

 

はい、というわけで時系列的には、ココでようやく今回の主役が登場です。

1989年12月 スズキ バンディット250 ③

バンディット250

●400と同時開発された兄弟車で、“艶”をキーワードにしてボリューム感や曲線美を意識し、遊び心を持たせたデザインとされました。ステンレス製エキパイの取りまわしも250独自でクロスしている形状と輝きがとても美し〜い! 艶やかな鋼管ダイヤモンドフレームに搭載されたGSX-R250R系エンジンは、低中速の扱いやすさを向上させたモディファイを受けつつも最高出力45馬力/1万4500回転、最大トルク2.6㎏m/1万500回転を発揮し、キビキビした走りが身上(燃料タンク容量14ℓ・車両重量176㎏・シート高750㎜)。価格は51万5000円でありました。特筆すべきは初期型バンディット……250/400とも、センタースタンドを標準装備していたんです! 大宇宙センタースタンド教の筆者としては声を大にして書いておきます!?

 

生き残りをかけて“やらまいか”魂が炸裂した!

1980年代を力強く(強すぎるほど!?)牽引してきたレーサーレプリカブームが、未来永劫続いていくとは当のメーカー側も思ってはおらず、だからこそ1980年代の後半から“突破者”スズキを筆頭に脱フルカウル≒限界性能絶対主義とは違う方向性が模索されていきました。

ただ、ピーク時からは沈静化してきていたとはいえ、メーカーを背負ってサーキットで闘ってくれるユーザーもまだまだ数多く存在しており、持てる技術力の高さを誇示できる手段でもあることから開発の手を緩めるわけにはいかないレーサーレプリカモデル。

1993年GSX-R400R

●一例として1993年型「GSX-R400R」カタログより。微に入り細を穿つ数多くの改良によりレースユースでの戦闘力をアップさせた「SP仕様」がフツーにカタログへと載せられ、フツーに販売されていたのです。ちなみにこのモデルでは標準車の価格は73万9000円、SP仕様は79万7000円のプライスタグが付けられていました。ただ、どちらも新しい馬力自主規制が適応されて最高出力は53馬力でしたが……

 

ならばそのエンジンを……、できることならフレームや足周りなどまでうまく流用して開発のコストを抑えつつ、新たなヒットモデルを生み出すことはできないか……? 

この時期、愚直なまでにかくいう方法論へ取り組んだのがスズキでした。

全てのコアとなる4スト250レーサーレプリカ①「GSX-R250R」を全力で開発しつつ、(ほぼ)カウルを取り払っただけの“裸(ネイキッド)バイク”として②「コブラ」を、フレームまで新しくしてタンクやテールカウルも作り直した“シン・ネイキッド”モデルとして③「バンディット250」を。

後述しますが、さらに発想を柔軟にしてフルカウルスポーツにメットインスペースを加えた④「アクロス」を、そしてオリジナルの1100イメージを250サイズで“完コピ”するという常軌を逸した執念の結晶⑤「GSX250S KATANA」を……と、珠玉のショートストローク248㏄水冷4スト並列4気筒DOHC4バルブエンジンを5機種で使い回すという(さらに後日にはVC化まで敢行!)ライバルメーカー驚愕の「数打ちゃ当たるだに~、……やらまいかッ!」攻撃をガトリング砲のごとく繰り出します。

集中砲火

●本当に「どうかしている」という言葉しか思い浮かばないほど(語彙力)、スズキ開発力の乱れ撃ちには凄まじいものがあったのです。その姿に打ち震える青春時代の筆者がいました

 

中でも大きな支持を得て、生産終了となる2000年まで、まさしく1990年代の10年間を駆け抜けたのがバンディット250シリーズということになるのです。

“山賊・無頼漢”の末っ子について語る前に、以降続いた兄弟車ほかをサラッと紹介しておきましょうかね。

1990年3月 スズキ ACROSS ④  

スズキ アクロス

●狙ったのか神のいたずらなのか非常に似たようなスタイルのカワサキZZ-R250と全く同じ時期にデビューした「アクロス」。25ℓもの大容量パーソナルスペースをニーグリップ部分に用意しつつ、その下にはしっかり45馬力エンジンを積載するという異色のロードスポーツ(燃料タンク容量12ℓ・車両重量177㎏・シート高730㎜)で、価格は54万5000円。満タン航続距離の少なさやテールエンドにある給油口のせいでリヤシート後方まで活用する積載性が阻害されたりと、ZZ-Rと同じ“ツアラー”とは言い難かったためか当時はあまり人気が盛り上がらず……。しかし、今もってコアなファンを維持&獲得し続けている立派な名車です〜

 

1991年5月 スズキ GSX250S KATANA ⑤

GSX250Sカタナ

●復刻版としては400より先にリリースされた車検要らずの“小刀”こと「GSX250Sカタナ」もまた、惚れ惚れするほどの完成度を持っていました。250の車格にオリジナルの格好よさを完全再現。黒一色に塗られた1本出しマフラーは1980年のケルンショーで世界に衝撃を与えた“GSX1100S KATANAプロトタイプ”を彷彿とさせるもの。エンジンは新馬力規制を先取りして40馬力仕様となっていたものの高回転まで回し切れる吹け上がりは特筆すべき気持ちよさ(燃料タンク容量17ℓ・車両重量178㎏・シート高750㎜)! 当時賛否両論あった前後17インチホイールも、今となってはタイヤ選択の幅が広がるというメリットのほうが大きいくらい。こちらが当時56万5000円だったのか、買い占めなかった自分を刀の錆にしてやりたい!?

 

ちなみに1990年は4月にリバイバル版のヤマハ SRX250が、6月にはヤマハ R1-Zが。1991年には2月にヤマハ ZEAL(ジール)が、3月にホンダ JADE(ジェイド)が、4月にカワサキ BALIUS(バリオス)が、10月にはホンダ XELVIS(ゼルビス)がデビューをしております。

250ロードスポーツが本当に充実してましたね〜。そしてさらに……。

1992年2月 スズキ GOOSE 250

グース250

●並列4気筒ではありませんが、こちらもスズキが挑戦したクオーターバイクの新たな可能性……SSS(シングルスーパースポーツ)「グース250」です。倒立式フロントフォークやオイルクーラーなどを持つ“350”のほうが有名ですけれど、1万回転オーバーまで実用域として力強く吹け上がると評判になった249㏄油冷4スト単気筒OHC4バルブエンジン(30馬力/2.6㎏mを発揮!)を積む250版も完成度の高さでは負けず劣らずの出来(燃料タンク容量15ℓ・車両重量157㎏・シート高770㎜)。高剛性な鋼管ダイヤモンドトラスフレームも美しかったですね……。兄貴分より7万円安かった49万9000円という価格にも注目が集まりました

 

1992年2月 スズキ SW-1

SW-1

●250クラスでスズキの挑戦と言ったら、この車両を出さないと牛丼の肉抜き状態でしょう。はい、「SW-1」です。日産のBe-1、パオ、フィガロといった“パイクカー”をデザインした会社とスズキがタッグを組んで生まれたオシャレなバイクで、1989年の東京モーターショーで参考出品されたものが大評判となり市販化へGOサイン。フルカバードボディの中には20馬力を発生する空冷4スト単気筒OHC4バルブエンジンを搭載しており、5段ミッションはN→1→2→3→4→5と並ぶシーソー式(燃料タンク容量10ℓ・車両重量183㎏・シート高770㎜)。シフトショックの少ないベルトドライブやこだわりの高級車載工具、各部にトランクスペースを採用して68万8000円ナリ。ですがバブル崩壊の影響もモロかぶりしてしまい、見事に沈没

 

……とまあ、全戦全勝とはいかなかったスズキの挑戦でしたけれど、各モデルに込められた本気と書いて「マジ」と読む真摯な作り込みっぷりは時を経て再評価され、カタナは言うに及ばず、SW-1もグースもアクロスも後日コアなファン層をガッチリ獲得したことは、ちゃんと書いておくべきでしょう(えっと、コブラは……)。

登場以降、着実に販売数を稼いでいった孝行息子

さて、時を戻しましょう。

1989年12月22日(金)。バブル真っ盛り、かつ1980年代が終わるという高揚感もあり、お祭り気分もアゲアゲだったクリスマスイブイブイブにスズキ「バンディット250」は発売を開始いたしました。

肩パッドモリモリのダブルスーツを着こなしたヤングサラリーマンが彼女と赤プリ(今はなき赤坂プリンスホテル)もしくはスキー場へと繰り出し、映画『私をスキーに連れてって』をリアルに気取ることができた時代です。

バブルイメージ

●良くも悪くもお金がグイングインと社会でフル回転しており、そのおこぼれが貧乏大学生に到るまで降ってきていた(バイト代高騰ほか)ご時世でした。筆者も餃子の王将のアルバイト代でVTZ250が買えたしなぁ

 

瀟洒(しょうしゃ)なイタリアンバイクっぽいデザインやカラーリングは世相にマッチし、先行した400による周知徹底もバッチリだったため「バンディット250」は見事なスタートダッシュを決めました。

バンディット250リヤビュー

●カタログを見ての想像以上にミドリミドリしている、1990年型のイタリアーノグリーン。ボディ同色に塗られたスイングアームもオシャレでしたね〜。後日“プライムグリーン”も登場いたしますが、そちらはもっと青みがかった深い色合いとなっております。何度でも書きますが、センタースタンドは標準装備なのです!

 

そしてこれまた400の反省点?がいち早く生かされたのか、1990年の4月には[アップハンドル仕様]が登場し、オリジナルの[セパレートハンドル]と同価格(51万5000円)で、どちらかのポジションが選べるというアドバンテージまで獲得

バンディット250アップハンドル

●400版同様ハンドルのグリップエンドが100㎜上方、50㎜後方に移動するパイプハンドルを採用したリラックス姿勢で車両を操れる[アップハンドル仕様]が、どの色でも選べたのです。なお、1992年9月にはノンカウル版全車が40馬力化するタイミングでハンドルのアップ具合を多少弱めた[コンチネンタルハンドル仕様]が登場。そちらは400の例に従い、標準車より安い価格(49万9000円)が適用されました。細かく攻めていたんだなぁ、スズキ……

 

ゼファーという強大なライバルのいたバンディット400とは違い、並列4気筒エンジンを積む直接的な好敵手がいなかった250はスイスイとシェアを拡大。強いて挙げればヤマハの2代目SRX250R1-Zがシン・ネイキッドとしてはライバルと言えたでしょうか……!?

繰り返しになりますけれど、ヤマハがジールで、ホンダがジェイドで、カワサキがバリオスで、おっつけ同じ土俵に上ってくるのは1991年春のこと。

先行したバンディット250の存在が他メーカーに火をつけたのは間違いありません。

250クラスでは空前絶後!?のロケットカウル版も出た

1991年5月には400同様の懐古主義的半風防……ロケットカウルを標準装備した「バンディット250リミテッド」が58万5000円で登場。

バンディット250リミテッド

●ウルトラマンを想起させる(?)キャンディジプシーレッド×トラディショナルシルバーメタリックの色遣いが、とてもエロい1991年型「バンディット250リミテッド」。エンジン各部をバフ仕上げ、3連メーター新採用といった部分も400版を踏襲。低く構えたウインドスクリーンながら防風効果もしっかり考えられており、高速巡航中に頭を下げれば走行風の抵抗と風切り音がググッと少なくなったもの。また、ワインディングではとてもキビキビ走ってくれた印象が残っております

 

グラフィックも400と似ているのですけれど、ナンだか違うな……という絶妙な塗り分けがなされていました。

こちらはもちろん45馬力仕様だったのですが、1993年5月には1992年からスタートしたエンジン出力に関するメーカー自主規制値変更を受けた40馬力仕様の“リミテッド”が再登場しております。

バンディット250リミッテッド後期

●これはこれで大アリなルージュレッドNo.2の単色をまとう1993年型「バンディット250リミテッド」。最高出力こそ40馬力へ引き下げられましたが、標準車も含め最大トルクは45馬力時代の2.6㎏mより0.1㎏mアップの2.7㎏mとなっていますからね。吸排気系だけでなくエンジン内のカムプロフィール変更に到るまで行われたスズキ開発陣の真摯な改良は確実に実を結んでいたのです

 

……と、放っておいても売れ続けたバイクというのは、かえって語るべきことが少ないもの。細かい色変更については割愛させていただきます。

さて、またまたまたまた長くなってしまいました(反省はしても後悔はしません(^^;))。

400そして250、ともに1995年にフルモデルチェンジを受けたあとの話は次回【後編】にて。

メーターまわり

●速度は180㎞/hまで、回転は2万rpmまでシレッと目盛られた白地でオシャレな2眼式メーターが、初代バンディット250デビュー当時の状況をしっかり物語っております。好調な中古車で1990年代初頭へとタイムトラベルしちゃいませんか?

 

あ、というわけで飽くなきチャレンジを続けたスズキの250……いや名車群から、それらと同時代に生きたライバルたち。1980年代や1990年代の車両と聞くと「維持が大変」と思われるかもしれませんが、レッドバロンの良質な中古車なら、膨大なパーツストックと日本全国に広がるサービス網とが相まって絶大なる安心感とともに長く乗り続けられます。ぜひお近くの店舗へ足を運び、スタッフと在庫確認から始めてみてくださいね!

バンディットという美学【前編】はコチラ!

バンディットという美学【後編】はコチラ!

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