ウェイン・レイニーがYZR500を駆って世界GP500㏄クラスのチャンピオンとなり、Mr.Childrenがメジャーデビューを果たし、クレヨンしんちゃんと幽☆遊☆白書と美少女戦士セーラームーンがアニメ化された1992年(平成4年)。ゼファーの巻き起こしたネイキッド大旋風がバイク業界を席巻している中、スペイン語で“星”を意味する名前のレトロ可愛い単気筒バイクがひっそりと生まれたのです……。
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エストレア? エストレヤ? どっちなんヤ!?
「ESTRELLA……? オガワくん、今度出るカワサキの新車、なんてカタカナ表記するんだっけ、エストレラでいいのかな?」とはモーターサイクリスト(MC)誌に異動してきたばかりの編集部員。
「いや、そんなキンチョールのCMみたいな名前じゃなかったッスよ」とは数年のMCアルバイト生活を経てそこそこの経験を積み、小生意気モードに入りつつあった筆者。
「ええ~っと、エストレヤとかエストレアだとか言ってたような……。そうだ、つづりがESTRELLAなんだからエストレアでしょ!」。
ブッブーッ、不正解!!
筆者が時間と空間を超越するひょうきんな神様だとしたら、当時の自分を懺悔室に放り込んで大量の水を浴びせてやるところです。知ったかぶりはダメ、ゼッタイ。
というわけで1992年5月に誕生したカワサキのブランニューモデル「ESTRELLA」は「エストレヤ」とカタカナ表記するのが正解でした。
今では信じられないほど多くの車種が存在していた時代
レーサーレプリカがけん引した1980年代バイクブームは全体として沈静化へ向かっていたものの、新たにネイキッドや逆輸入のメガスポーツやリッタースーパースポーツなどのジャンルが人気を博しはじめるなど、まだ十分に“ブームの余熱”が残っていたのが1992年という年です。
当時のカワサキ250㏄モデルを列記しても、残念ながら2ストレプリカ「KR-1S/R」こそ在庫一掃セール状態だったのですが、4スト並列4気筒レーサーレプリカ「ZXR250/R」も、そのエンジンを活用したスポーツネイキッド「バリオス」も、伝統のパラレルツインを搭載するコンパクトツアラー「ZZ-R250」とドラッグクルーザー「エリミネーター250シリーズ」も元気イッパイ!
さらにオフロード方面へ目を向ければ2ストエンデューロマシンレプリカ「KDX250SR」に、ロングセラー4ストデュアルパーパス「KLR250」まで存在していた、無いのはスクーターとトライアル車だけ?という超強力ラインアップ。
そこへさらなる新星として誕生したのが、非常にノスタルジックな外観のボディに扱いやすい249㏄空冷4スト単気筒OHC2バルブエンジンを包み込んだネオレトロシングル「エストレヤ」だったのです。
そのデザインはまさしく懐古主義が全開で、カワサキとゆかりが深いメグロ(目黒製作所)が1950年にリリースした日本初の250㏄バイク「メグロジュニア」のシリーズをモチーフとしたことは一目瞭然でした。
平成を駆け抜ける性能を昭和な外装に包み込み
カワサキ広報から届いたポジフィルムをルーペでのぞき込んだときは驚いたものです。
「くっ……鞍型シートにキャブトンマフラーだとっ!」。古き良き1950〜60年代テイストをメーカーが純正で踏襲してくるとは……。
しかも、シリンダーが直立したシングルエンジンは完全新設計モノではありませんか!!
このコラムでも何度か述べていますけれど、新規エンジンの開発&生産には莫大な費用がかかります。
ゆえにどのメーカーも一度作ったパワーユニットはトコトンしゃぶりつくし……いや、時代変化に即した適切な改良を施し、使い回し……いや、コンセプトが合致する他のモデルへ流用するなどして“数”を確保せねば掛けたコストの回収すらおぼつかなくなります。
バイクブームの余熱が残っていたとはいえ、ほぼほぼ国内専用となる250㏄ブランニューエンジンを単一車種(当時)のために開発してくるとは……恐るべしカワサキ。
ゼファーシリーズやZZ-Rシリーズなど長い歴史を持つ原動機をベースにして活用したモデル群の大ヒットにより得た余力があったればこその話かもしれませんが、潤沢な原資を注入して開発されたであろうエストレヤのエンジンは、中身はもちろん外観にも力が入っていました。
「神は細部に宿る」を実践したボディワーク
広報写真からもビンビンに伝わってくるように、アルミ製のクランクケースは美しく磨き上げられて陰影をクッキリと映し出し、何よりキャブトンタイプのマフラー(さらに言えば車体各部に配されたパーツ群)が放つクロームメッキパーツの輝きよ!
それらがとても念入りに最高級バフ研磨仕上げされていることが、後日モーターサイクリスト編集部に届いた広報車でも確認できました。
実車を目の前にすると、まぁなんとお洒落なことか。
所有するだけで、“私はゆったり、気負わず、単車のある生活を楽しんでます”というバイクライフを主張できるようなオーラが満ち満ちていました。
鞍型……サドルシートも想像以上に座り心地が良く、シート高も770㎜に抑えられており足着き性も良好。
積極的にお尻をズラして元気いっぱい峠道やサーキットを駆け抜ける、といったライディングには向いていませんでしたが、そういうことがしたいなら適したバイクは他に山ほどあるわけですから問題ナシ!
そもそもエンジン自体が最高出力20馬力/7500回転、最大トルク2.1㎏m/6000回転と、パワーバトルからは完全に身を退いたロースペックなので勘違いしようもございません。
走る・曲がる・止まるはキッチリ平成基準!
……とはいえ、セル一発で目覚めたエンジンはキャブトンタイプマフラーから快活な排気音を吐き出し、ロングストローク型の発動機らしい低回転域から生み出される太いトルクによって乾燥重量で142㎏という決して軽くはない車体をクラッチミートの瞬間から力強く前進させてくれます。
いやぁ、何というトコトコ感!
またまた取材前の広報車ガソリン満タン係を仰せつかった筆者は、これ幸いと竣工間際のレインボーブリッジがよく見える東京湾岸・13号埋め立て地の近辺へとエストレヤを走らせて、えも言われぬ鼓動感に浸り続けました。
当時、250レトロ風シングルというジャンルでくくればライバルとなるホンダ「GB250クラブマン」(スズキ「SW-1」は……どうなんだろう〈笑〉)とは全く異なる走り味。
直接的なライバルはDOHCヘッドの30馬力仕様!
GB250クラブマンはエストレヤと同じ空冷ながらショートストロークかつRFVC機構を採用したDOHC4バルブエンジンで、最高出力30馬力/9000回転、最大トルク2.5㎏m/7500回転という高回転域でのパワフルさを前面に押し出したパワーユニットを搭載しており、トラディショナルな外観に似つかわしくない(?)ハードな走りさえ余裕で許容するというキャラクターの持ち主だったのです。
片やエストレヤは動き出した瞬間から「これでいいヤ~」と肩の力が抜けまくる優しい乗り味。
もちろん、後日の取材でワインディングや高速道路なども駆け抜けて、どんなシチュエーションでも最新250スポーツモデルとして過不足のない性能を有していることは確認できました。
ですが、常にライダーがエンジンに対して「頑張れヤ~」とエールを送っているような状態になりますので、結果的に乗り手のほうが自然と独特なパルス感の心地よい低~中回転域を多用する“疾走”ではなく“快走”モードに切り替わってしまい、どこまでも「楽しいヤ~」と走っていきたくなる中毒性まで有していることが判明いたしました(笑)。
かくして1992年5月11日、税抜き45万円というキリのいい価格で発売が開始されたエストレヤ。
まさかそこから25年という長い期間、栄枯盛衰の激しいラインアップで輝き続けるスターモデルになろうとは、月野うさぎ……いや月刊誌の編集者でさえ想像もつきませんでした。
次回はバリエーションの変遷、そして現れては消えていったライバルたちについてお伝えする予定です。
あ、というわけでエストレヤの中古車は低年式から高年式まで、程度もカラーもカスタム具合も、まさに星の数ほどバラエティに富んでおります。しかし、レッドバロンの良質な中古車なら、フレームが安全で基幹部品に異常がなく、違法改造箇所が存在しないこともお墨付き。巨大な部品倉庫(本社工場)も備えているので補修用のパーツが手に入らないという心配も不要なのです。ぜひお近くのレッドバロンにて小粋な相棒を探してみてください!