ビキニ……なんと魅惑的な言葉なのでしょうか(^^ゞ。人体のとても大切な部分を必要最低限の布地で覆い隠すという、非常に印象的なファッションの由来は各自ググっていただくとして、バイクの世界にもビキニうんたらというものがありましたよね? そうです、「ビキニカウル」です。3代目にして非常にコンサバティブな出で立ちで登場した“インパルス”はライバルが真似できない+αの魅力で広い支持を得ました!

インパルスタイプS
カタログ

●1994年型スズキ「GSX400インパルス タイプS」カタログより。デカデカと英文字で「コードネーム タイプS」ときて、キャッチが「あいつの気配。」ですよ。その後に流れるコピーも非常に秀逸なので、拡大して読めるようデータの大きな画像をムリクリ入れちゃいました(サーバー担当者さんゴメンなさい m(_ _)m)。ホント、前々回に紹介したホンダ「CB750」ではないですが、カラーリングの魔力というのは恐ろしいものがございますね……

 

 

インパルスという繰り返す衝撃【その1】はコチラ!

 

インパルスという繰り返す衝撃【その3】はコチラ!

 

まずはビキニつながりの与太話から、お付き合いください m(_ _)m

 

視覚的刺激……。

 

 

こちらが恋愛模様だけでなく購買欲まで大きく左右することへつけ込んでか(?)、男性向けの各種雑誌には往々にして美しい女性のビキニ姿がデカデカと写真掲載されているものでございます。

ビキニ娘

●名前の由来こそアレですが、もはやファッションの名称として、完全に市民権を得ている「ビキニ」。残念ながら筆者を取り巻く現実世界では、ろくにお目にかかったことはないのですけれど(涙)、やはりマーベラスな健康美には視線が釘付けになってしまいますなぁ〜。何のハナシでしたっけ、あ、ハンドル回りを中心にヘッドライトを覆う比較的小型のカウルを日本では「ビキニカウル」(ミニカウルとも)と呼びます

 

 

ともあれ、美しい外観は老若男女を強く引きつけるものなのですね。

 

 

さて、初代、2代目となかなかにアグレッシブな外観と内容を伴って登場し、熱い注目は集めた……ものの期待以上の販売実績には結びつかなかったスズキ“インパルス”シリーズ。

 

初代が空冷→水冷へ向かう過渡期ゆえの早期退陣

初代インパルス

初代「インパルス GSX400FS」1982年〜

 

 

2代目はレーサーレプリカブーム絶頂期ゆえの埋没……と、登場するタイミングに恵まれず2代続けて早々にフェードアウトしたことは、前編でしつこく述べたとおり。

GSX-400Xインパルス

2代目「GSX-400X インパルス」(ハーフカウルの“XS”もあり)1986年〜

 

 

しかし、二度あることは三度ある(?)、三度目の正直(?)、仏の顔も三度まで(?)……どれだ?(^^ゞ

 

 

ともあれ、1994年2月に“インパルス”は、みたび400㏄市場へと舞い戻ってきました。

 

 

3代目はもうコテコテのコテコテコテコテネイキッドスタイリングを身にまとっての再々登場です。

1994年インパルス

●1994年型「GSX400 インパルス」。従来からあった「バンディット400」用とは異なり、ボア・ストローク比(ピストン径と行程の比)を約0.9とロングストロークに設定した399㏄水冷4スト並列4気筒DOHC4バルブエンジンを採用。当時の馬力自主規制上限値53馬力を1万1000回転で発生し、最大トルク3.8㎏mを9500回転で絞り出しており、スズキらしい低〜中回転域から生み出される強力なトルク感がウリでした。60㎞/h定地燃費は36.0㎞/ℓ、燃料タンク容量16ℓ、シート高760㎜、乾燥重量172㎏。税抜き当時価格は55万9000円。口の悪い先輩スタッフは広報写真を見るなり「スズキのゼファーか……」と言い放ち、遠い目をしていました。ちゃうわい!

1990年代初頭、400ネイキッドクラスは群雄割拠の時代だった!

 

そんな1994(平成6)年……。

 

 

時代の指標としてよく紹介させてもらっているジブリ映画で言えば『平成狸合戦ぽんぽこ』が公開された年ですね。

ぽんぽこ

●原作・脚本・監督が高畑 勲さんで宮崎 駿さんが企画で参加した『平成狸合戦ぽんぽこ』英題が「Pom Poko」だったとは、今はじめて知りました……カワイイ)。1994年7月16日に公開され、その年の邦画・配給収入トップとなる26.3億円を記録。キャラクターはとても可愛らしいのですけれど、扱っているテーマは結構な重さでしたよね。……もう30年前の映画なんだぁ!

 

 

自社さ連立村山内閣が発足し、金日成北朝鮮主席が死去し、F1のアイルトン・セナ氏も事故死……。

 

「同情するなら金をくれ!」名ゼリフで知られる『家なき子』が大ヒットし、Mr.Childrenの「イノセント・ワールド」がチャートを席巻。

 

世界GPではホンダの2ストロークレーサー「NSR500」を駆るミック・ドゥーハン選手が、5年連続でチャンピオンを達成する、というとんでもない偉業のスタートとなった年でもあります。

●写真はドゥーハン選手が世界GP500㏄クラスのライダーズタイトル5連覇を達成した1998年のショット。あまりにも強すぎるので“ドゥーハン専制時代”とも言われていましたね〜。そして2024年……モトGPを戦うレプソルホンダの一日も早いトップクラスへの返り咲きを心より祈念しております!

 

 

そして日本のバイク業界、特に400㏄市場へ目を移してみると、1989年4月にデビューした空冷並列4気筒エンジンを積むカワサキ「ゼファー」のブレイクから始まったネイキッドブームはまだまだ続いておりました。

水冷だ! DOHC4バルブだ! 59馬力だ! フルカウリングだ! アルミフレームだ! 倒立式フロントフォークだ! え〜い70万円超えだぁ〜! ……とまさしく狂乱状態だったレーサーレプリカブームの埒外に、1989(昭和64/平成1)年ひっそりと降り立ったカワサキ「ゼファー」。399㏄空冷4スト並列4気筒DOHC2バルブエンジンの性能は46馬力/3.1㎏mというおとなしさ。しかしながら必要にして十分な装備をまとい税抜き当時価格52万9000円というリーズナブルな価格で吹き始めた西風は、いつしか烈風(れっぷう)いや、さらにその上の颶風(ぐふう)となってレプリカブームを根こそぎ吹き飛ばしていったのです……。なお、車名の「ZEPHYR」とは、ギリシア神話に登場する西風神の英語名です。念のため

 

 

二輪ギョーカイ関係者が誰ひとり見向きさえしていなかった“西風”こと「ゼファー」は、デビュー直後こそ静かなそよ風でしたが、あれよあれよとレーサーレプリカブームに辟易としていた人たちを取り込んで、強すぎる勢力を持つ大旋風へと成長してしまい、1990年、1991年と販売台数ランキングでも圧倒的な強さを見せつけていきます。

ゼファー1100

●400㏄クラスで「ゼファー」路線が当たったとみるや、1990年8月には「ゼファー750」を、1992年の3月には「ゼファー1100」を立て続けにデビューさせたカワサキ……おそるべし。写真の“1100”なんて海外向け大型ツアラー「ボイジャーⅫ」用の水冷エンジンをわざわざボアダウンして空冷化するという手間ひまのかけっぷりよ! ナナハン同様、2007年のファイナルエディションまで息の長い、着実な販売を記録していきました

 

 

それに対し、ようやく1992年4月にホンダが“PROJECT BIG-1”という旗印のもと、水冷並列4気筒(53馬力)エンジンの「CB400SF」をデビューさせて400㏄クラスにおける「ゼファー」の独走を阻止

CB400SF

●1992年型ホンダ「CB400 SUPER FOUR」399㏄水冷4スト並列4気筒DOHC4バルブエンジン(53馬力/3.7㎏m)の60㎞/h定地燃費は34.7㎞/ℓ、燃料タンク容量18ℓ、シート高770㎜、乾燥重量172㎏。税抜き当時価格は写真の黄、そして赤と黒のソリッドカラーが58万9000円。黒×灰、銀×青のツートーンカラーが59万9000円でした。今となっては信じられませんが「ホンダのゼファーじゃんか!」と酷評する人もいたのですよ

 

 

1993年3月にはヤマハが空冷並列4気筒ながら、DOHC4バルブエンジンでしっかり53馬力を絞り出してきた「XJR400」をリリースして、こちらも高い人気を獲得中……という状況でした。

XJR400

●1993年型ヤマハ「XJR400」。399㏄空冷4スト並列4気筒DOHC4バルブエンジン(53馬力/3.5㎏m)は60㎞/h定地燃費が41.0㎞/ℓ、燃料タンク容量18ℓ、シート高770㎜、乾燥重量175㎏。税抜き当時価格は57万9000円。う〜ん、なぜか筆者、「ヤマハのゼファー」という悪口は一度も耳にしませんでしたね〜。たまたま?

 

史上空前に湧き上がるネイキッドブームのなか、スズキは……

 

そんな中、スズキは「ゼファー」の登場から2ヵ月後の1989年6月に「バンディット400」(59馬力!)をリリースしており、図らずも「レーサーレプリカの次に来るもの」として新時代のネイキッドモデルをカワサキとほぼ同時期に世へ問うことになりました(実はホンダも……(^^ゞ)。

●独特な形状の鋼管製ダイヤモンドフレームも美しい1989年型スズキ「バンディット400」。開発時のキーワードは「艶(つや)」! 「GSX-R400」系のショートストローク型パワーユニットをネイキッド向けにリファインした398㏄水冷4スト並列4気筒DOHC4バルブエンジンは最高出力59馬力/1万2000回転、最大トルク3.9㎏m/1万500回転を発揮。60㎞/h定地燃費が36.0㎞/ℓ、燃料タンク容量16ℓ、シート高750㎜、乾燥重量168㎏。税抜き当時価格は59万5000円。内容から考えれば「ゼファー」並みの大ヒットモデルになっていてもおかしくなかったはず……といまだに筆者は思い続けています

CB-1

●「ゼファー」登場のちょうど1ヵ月前となる1989年3月にホンダが放った「CB-1」。1986年に登場した「CBR400R」から受け継がれてきたカムギヤトレーンの399㏄水冷4スト並列4気筒DOHC4バルブエンジンをデチューンして(57馬力/4.0㎏m)、美しいスチール製ダイヤモンドフレームに搭載。60㎞/h定地燃費が35.0㎞/ℓ、燃料タンク容量11ℓ、シート高775㎜、乾燥重量168㎏。税抜き当時価格は64万6000円。翌年の1990年モデルでは足周りを改良しつつ値下げまで断行(60万9000円)。そのまた翌年の1991年には馬力規制に合わせてエンジン出力を57馬力→53馬力へ。さらに燃料タンク容量を13ℓ化セミアップハンドル新採用など多岐に渡るモディファイを施しつつ価格を据え置いた「TypeⅡ」まで送り出すのですが、残念ながら大きな支持を得ることはできず……

 

 

ただし方向性は真反対

 

 

「ゼファー」がシンプルかつベーシックな日本的“侘び寂び”ムードを訴求したのに対して、「バンディット400」はバブルな世相を正直に反映した“イタリア~ン”な魅力を振りまいていたのが印象的でした。

バブル世代

1985年から1991年まで日本で巻き起こっていたバブル景気時代。ライダーが貧乏になったから格安な「ゼファー」が売れた……というわけではないのです。素材として手に入れて、数台買えるだけの金額をカスタムにつぎ込むオーナーもザラにいらっしゃいましたからね〜

 

 

かくいう「バンディット400」の“レプリカさえカモれるネイキッド”という過激なコンセプトは、一部ライダーにはとても強烈に支持されたのですけれど、前述のとおり性能と同時に価格も二次曲線的に上昇し続けるお祭り騒ぎのレプリカブームに疲れ果てていた圧倒的多数のライダーたちは、より突き抜けた“侘び寂び”を求めており、そこへジャストミートした「ゼファー」がベストセラー街道をばく進することになったのです。

ゼファーカタログ

●1993年型「ゼファー」カタログより。全12ページのうち、このようなバイクの部分写真すら1枚もない私小説的なページが「春」、「夏」、「秋」、「冬」と3分の1も占めているという天元突破ぷり! 何をしても許されるという当時、手がつけられないほど絶大な「ゼファー」人気を、こんなところからも感じますね……

 

 

スズキとしても手をこまねいて「ゼファー」の快進撃を眺めていたわけではなく、「バンディット400」へ1990年7月アップハンドル仕様を登場させたり、

バンディット400アップハンドル

●「セパレートハンドルゆえ(ゼファー比で)ハンドルが低すぎるからウケなかったのか?」と、前傾姿勢を緩くした「バンディット400[アップハンドル仕様]」を追加。STD比でグリップエンドを上方へ100㎜、後方に50㎜も移動させるパイプハンドルを採用してライディングポジションは劇的に変化! 税抜き当時価格はSTDと変わらぬ59万5000円。みょ〜んという擬音が聞こえてきそうです……(^^ゞ

 

 

同1990年11月にはロケットカウルを装備した「リミテッド」もリリース。

リミテッド

●秋も深まった11月には「レトロムードが足りなかったのか?」とばかり、懐古風味満載のロケットカウルを装備した「バンディット400リミテッド」を投入。1990年……そう、スズキ創業70周年を記念したモデルとして登場し、エンジン各部はバフ掛けされてなおかつクリアー処理が施され、メーターも水温計を追加した3連式へ変更(よく見るとミラーもソレっぽい形状に)。さらにゴールドチェーンも採用しており、トドメはスズキ70周年メモリアルキーホルダーの付属! それでいて価格は66万6000円ポッキリ。もう1色、銀×青もカッコよかった……

 

 

1991年には“VCエンジン”採用の「V」を発表……と、アノ手コノ手でユーザーを振り向かせようといたします。

バンディットv

1991年6月、現在に至るまでバイク業界では空前絶後となる可変バルブタイミング・リフト機構を組み込んだVC(Variable Valve Control)エンジンを搭載した「バンディット400V」が発売されます。こちら回転数に応じて高速用カムと低速用カムを自動的に切り替え、吸排気バルブのタイミングとリフト量を変化させる機構でして、なんと1気筒あたり吸気側、排気側にそれぞれ高速用カム2個、低速用カム1個の計6個を配列するという精緻かつ画期的なメカニズム。低中回転域でスムーズで力強いうえに高回転域まで滑らかに吹け上がり(切り替えタイミングは約9000回転でハイカムはローカムより約15%トルクを上乗せすることができる設定)、強力なパワーを感じられるエンジンでありました。税抜き当時価格は63万6000円。つまりSTDに4万1000円追加するだけでVCエンジンを手に入れられたワケで……コスト計算が絶対におかしい

 

 

超ハイメカから超リーズナブル&伝説モデルまで400乱れ打ち!

 

さらに同1991年9月には“侘び寂び”を身にまといつつ(?)価格が40万円を切るネイキッドモデル「GS400E」も導入(まぁ、こちらは並列2気筒エンジンなんですけど)。

GS400E

●ど〜ですか、お客さん! こんなシンプルさを極めたようなカッコいいスタンダードネイキッド「GS400E」が約3年間ではございますが日本の400市場で売られていたのですよ。欧州で人気を集めていた「GS500(E)」をスケールダウンした399㏄空冷4スト並列2気筒DOHC2バルブエンジン(39馬力/3.2㎏m)の60㎞/h定地燃費は45.0㎞/ℓ。燃料タンク容量が17ℓですから理論上の満タン航続距離は765㎞ですぞ! シート高760㎜、乾燥重量169㎏。税抜き当時価格は驚きの39万9000円! 堅牢なスチール製角パイプのダブルクレードルフレームがちょっとレーサーレプリカっぽかったのが仇になってしまったか?

 

 

さらにさらに1992年4月には伝家の宝刀、KATANAスタイルを400㏄クラスにアジャストした「GSX400S カタナ」まで繰り出しますが(こちらをネイキッドと呼んでいいかどうかは微妙ではありますけれど。なお、全く同じ時期にホンダ「CB400 SUPER FOUR」がデビュー……)、いずれのモデルもメーカー入り乱れての大乱戦が続く400ネイキッド市場では決定打と成り得ませんでした。

GSX400Sカタナ

●よもやよもやの「GSX400S KATANA」降臨! エンジンは「バンディット400」と同じGSX-R系をベースとしつつ、低中速域でのトルクアップを果たすべくロングストローク化(40.4㎜→47㎜)が実施されエンジンヘッドとシリンダーの縦横比がオリジナルの「GSX1100S KATANA」と同じになるようリビルド! 総排気量が1㏄増えて399㏄となった水冷4スト並列4気筒DOHC4バルブエンジンは最高出力53馬力/1万500回転、最大トルクは3.8㎏m/9500回転を発揮! 60㎞/h定地燃費は36.0㎞/ℓで燃料タンク容量は17ℓ。シート高750㎜、乾燥重量182㎏。税抜き当時価格は65万9000円。嗚呼、メチャクチャカッコいいなぁ……

 

 

そうこうしているうちに、ライバルメーカーは“軸”となるネイキッドモデルを確立して快走モードへ。

 

 

もはや四の五の言っている場合ではありません

 

 

根っから“プロダクトアウト”な製品を提供するという企業体質を持っていたスズキではありましたが、ネオレトロな西風吹き荒れる、されど美味しすぎる巨大市場をみすみす指をくわえて眺めているわけにはいかなくなったのでしょう……。

●市販車初のアルミフレーム、45馬力を生み出す水冷2ストエンジン、3000回転からスタートするタコメーター、フロントフォークのアンチノーズダイブ機構、ハーフカウル……1983年に発売された「RG250Γ(ガンマ)」はまさに「我々が作りたいモノを作る!」というスズキのプロダクトアウト精神が横溢していたエポックメイキングなモデル。ほかにも「GS250FW」、「GSX-R」、「KATANA」、「HAYABUSA」、「GR650」「チョイノリ」など我々を驚かせた革新的なモデルは枚挙にいとまがありません

 

 

ならば!とばかり、ド直球を400ネイキッド市場のド真ん中へ“マーケットイン”いたします。

 

 

それが1994年2月にアンベールされた3代目のインパルスこと「GSX400 インパルス」だったのです。

インパルス灰

●読者様から心のアンコールが聞こえてきたので、今一度写真を紹介……(^^ゞ。これがスズキの汎用二輪(裸族)型決戦兵器「GSX400 インパルス」です。1994年の初期型は黒のほか青、灰(写真)、赤のシンプル極まりない、しかしながら気合いの入った4色展開だったことからもスズキやる気元気が伝わってきました

 

 

ど~ですか、お客さん! 

 

 

これぞまさしくザ・ネイキッドとも言える、ジ・オーソドックスなスタイリングッ! 

インパルス

●1994年型「GSX400 インパルス」カタログ表紙より抜粋。丸目一灯ヘッドライトに砲弾型メーター、フロントダブルディスクブレーキにリヤの2本サスとアルミ角パイプスイングアームは売れ筋ネイキッドモデルのド定番アイテム。そこへ“ブレンボ”やら“オーリンズ”やらの舶来ブランド品が絡んでくるのは、もうちょっと後のハナシ……。【後編】で詳しくご紹介いたします!

 

 

ライバルのいいとこ取りをしたようなフォルムと張りとエッジを持つ容量16ℓのガソリンタンクから、サイドカバーへはセオリー通りの流れが構築され、いったん2本サスの支持部を飛び越えてからタンクのボリュームと見事に呼応した大きめのテールカウルでフィニッシュするという端正かつ勢いのあるデザインは、なるほど“ネイキッドの王道スタイリング”を研究し尽くしたことが伝わってくる仕上がり。

GSX400インパルス

●この角度から見ると、テールカウルに形作られたエッジの跳ね上がりっぷりがよく分かります。実際に跨がってみると足着き性は非常に良好で、ニーグリップをするとタンク側面に太ももが吸い付くような感覚が……。そのあたりもスズキ開発者のこだわりを感じるところでした

 

 

「GSX400S カタナ」譲りの399㏄水冷4スト並列4気筒DOHC4バルブエンジン(53馬力/3.8㎏m)はオーソドックスなダブルクレードルフレームに搭載され、各種装備も丸目一灯ヘッドライト、砲弾型メーター、4into1マフラー、剛性感の高いフロントフォークにフロントダブルブレーキ。リヤセクションもアルミ角パイプのスイングアーム、2本サスに採用されたKYB製ショックユニット、格納式荷掛けフックまで抜け目なく装備……などなど。

インパルスカタログ

●1995年型「GSX400 インパルス」カタログより。発売から1年後には細かい小改良が実施され、注目したいのはシート下へ新たに4ℓ容量の収納スペースが用意されたこと。テールカウル内に従来からあった2ℓ容量の小物入れと合わせて使い勝手のいい空間が創出されましたので、カッパや積載用のゴムひもなどを気軽に放り込んでおくことができました。今ならそこへまずはETC車載器を安置することになるでしょうね

 

 

どこをとっても400ネイキッドの最新トレンドが標準装備され、「皆さん、こういうのがお好きなんでしょ……これで文句あるかゴルァ!」と開発陣の“圧”まで感じさせるような細部に至るまでのスキのなさ。

 

ビキニカウルをカッコよく着こなした強力なライバルが同時期登場!

 

駄菓子菓子! 

 

 

神(?)はインパルスにみたび試練を与えます。

 

 

なんとなんとなんと、カワサキは「ゼファー」の“次”として「ZZR400」の水冷並列4気筒エンジンを搭載したネイキッドモデル「ZRX」を新規開発し、よりにもよって「GSX400 インパルス」と全く同じ1994年の2月にデビューさせてきたのです。

ZRX

●1994年型カワサキ「ZRX」……。空冷「ゼファー」シリーズで何となく“丸Z”のデザインテイストを踏襲している(まんまではない)……と思っていたら、水冷エンジンで“角Z”をフィーチャーしてくるとは……。エンジンは「ZZR400」用をベースとした399㏄水冷4スト並列4気筒DOHC4バルブエンジンで、最高出力53馬力を1万1000回転、最大トルク3.8kgmは9000rpmで発生! 60㎞/h定地燃費は43.5㎞/ℓで燃料タンク容量は15ℓ。シート高785㎜、乾燥重量185㎏。税抜き当時価格は59万9000円

 

 

角目一灯のビキニカウルから始まり、テールカウルへ至るまでのカクカクッとした(まさに“角Z”!)フォルムは、まさしくあの“ローソンレプリカ”を彷彿とさせるガチ決まりのカッコよさ。

●写真はヤングマシン×ForR記事、『羨望のローソンレプリカ その原点:[’82-]カワサキ KZ1000R[Z1000-R1]【青春名車オールスターズ】』より。リンク先の良記事をぜひご一読ください〜!

 

 

「カワサキがまたやった!」とばかり、当時私が所属していた八重洲出版モーターサイクリスト編集部でも全員が色めき立ち、早々に兵庫県明石市にある川崎重工業本社へアポを取って、社内倉庫に保管されていた“ローソンレプリカ”の原点とも言える激レア市販スーパーバイクレーサー「KZ1000S1」などと「ZRX」を並べて撮影するべく動き出したり、懇意にしていたモーターサイクルドクターSUDAの須田高正社長へ「ZRX」チューニングの可能性を聞きにいったりと大騒ぎに……。

KZ1000S1

「KZ1000S1」……ローソンレプリカ「Z1000-R1」が市販されたのと同じ1982年に、純レーサーとしてアメリカで発売されたモデル。生産台数は30台ほどだったと聞きます。う〜ん、オーラが違う……1

 

 

いや、「GSX400 インパルス」でも登場時、モーターサイクリスト誌は“日本縦断長距離耐久テスト”のような企画を行なったりしたのですけれど、“ローソンレプリカ”という偉大すぎるご本尊が後ろに控える「ZRX」の注目度に対して、なかなか読者にインパルス……いやインパクトを与えるネタを引っ張りだせなかったというのが正直なところ。

日本

●ロングランでの耐久性&快適性などを探るべく、エキゾチックなジャパーン!を南から北へひたすらに北上していくという日本縦断企画……。1994年2月の「GSX400 インパルス」発売に合わせて実行したはいいものの、北関東より上は当然のごとく積雪が残っていた時期だったため、いろいろと大変でした……(遠い目)

 

 

嗚呼、二度あることは三度ある(?)、3代目インパルスも強力すぎる同期ライバルに撃沈され、アッと言う間にフェードアウトしてしまうのか……と筆者も考えてしまっておりました。

 

 

ところが実際は三度目の正直(!)のほうでして、400㏄クラス年間販売台数ナンバーワン!……といった超ド派手な記録こそ打ち立てることはなかったものの「CB-SF」、「ZRX」、「XJR」という400ネイキッド新3強に、しっかりと食らいつき存在感を発揮していきます。

 

ユーザーに寄り添った魅力を打ち出して人気モデルとして定着!

 

その要因のひとつが価格設定

 

 

「GSX400 インパルス」の税抜き当時価格は55万9000円で「ZRX」の59万9000円は言うに及ばず「CB-SF」と「XJR」よりも低い価格設定でしたし、さらに……あくまでウワサによれば店頭での値引きも相当に頑張っていたとかいなかったとか!? 

お買い得

●「性能や内容の割にプライスはお買い得感満載!」というのが今も昔もスズキの真骨頂。さらに当時は販売促進のために使える原資が潤沢だった……という印象がございます

 

 

そして、STDの発売からたった4ヵ月後となる1994年6月にバリエーションモデルとして追加された「Type S」の評判が非常に良かったという点も見逃せません。

1995_GSX400インパルスタイプS

●税抜き当時価格で比較すればSTDからたった2万円しか高くない57万9000円で発売された「GSX400 インパルス タイプS」。ビキニカウルの追加はもちろん、凝ったツートーンカラーの採用を考えても、あまりにバーゲンプライスだったと言えますね

 

 

正直、カワサキ「ZRX」の登場を見てライバルメーカーは「うわっ、やられた!」と考えたらしく、事実ホンダは約1年後となる1995年の3月に薄目角一灯ビキニカウルを装着した「CB400 SUPER FOUR VERSION R」を投入し、

CB400SF バージョンR

●ビキニカウル装着だけでなく、エンジンや足まわり、フレームにまでにも手が加えられるというメチャクチャ気合いの入った仕上がりをみせた“バージョンR”(なんとこちらもSTD比で2万円しか高くない!) それでも主流にはなり得なかったのですから本当にバイクビジネスというのは難しいものです……

 

 

ヤマハも1996年2月、これまた薄目角一灯+ビキニカウルという精悍な出で立ちをまとった「XJR400RⅡ」を発売開始……したのですけれど、

ヤマハXJR400R2

●さらに独特なビキニカウルデザインを追求してきたのは、さすがヤマハというべきか……の“RⅡ”。上の“CB400SF バージョンR”とともに詳しく紹介した記事はコチラ〜!

 

 

両車とも当時のユーザーに「オレたちが求めているものは、こんなんとちゃう!」と総スカンを食らってしまいます(結果、両車とも早々にラインアップ落ち……)。

 

 

ところがところが、スズキはZRXショック(?)から、半年もかからず「Type S」を速攻投入!

1994年タイプS

●1994年型「GSX400 インパルス タイプS」カタログより。ご覧のようにリヤめからの撮影でも巨大さが分かるビキニカウル……。しかし、だからこそ防風効果が高いことも得難い魅力として口コミで拡がっていきました

 

 

事前にこんなバリエーションモデルを下準備をしていたのかどうかは不明ながら、勝手に妄想すると……。

 

 

「わぁ、明石がまたどえれぇモン出してきたでぇ! AMAスーパーバイクレプリカなんざ反則だに……ん、ウチにもウェス・クーリーはんが大活躍したマシンの直系モデルがあったよな。おお、しかも丸目一灯やから、せっかく磨き上げたSTDのイメージを変えずに済むずら。色もアレにして、すぐ金型を用意してやらまいか!」という思案と即断があったのではないでしょうか(^^ゞ。

GS1000S

●「GSX400 インパルス タイプS」の元ネタといえばこの「GS1000S」ですね。1979年から設定された輸出モデル「GS1000」のビキニカウル装着車両。こちらをベースにしたレーサーをレジェンド、ウェス・クーリー選手が駆り、AMAスーパーバイクレースで大活躍をしたことから、のちにこの仕様を「クーリーレプリカ」と呼ぶようになったとか

 

 

正直、「Type S」の広報写真を最初に見たときはビキニカウルが「古臭い! デカい!」と思ってしまったのですが、何と言っても爽やかに過ぎる青と白のカラーリングが秀逸そのもの……。

GSX400インパルスタイプSカタログ

●見慣れてくるほどにカッコよさが際立つ、1994年型「GSX400 インパルス タイプS」カタログより。当然のごとく「GS1000S」のことについても熱く語られております。もっと詳しく知りたい!というかたは、コチラもどうぞ!

 

 

当時を知らない若い人たちでも鮮烈な記憶として残る強い印象を与えていきました。

 

 

過去の遺産をうまく(格安で!?)+αの魅力へと転化したのですね。

GS1000S 横

●「軽量・ハイパワー・グッドハンドリング」を武器に、当時の耐久レースを席巻した「GS1000/S」。写真は1979年型「GS1000S」。以降のモデルではさらに流麗なラインが採用されていたりもします

 

 

「Type S」自体の進化改良は1996年モデルをもって終わってしまったのですけれど、1999年あたりまでモデルラインアップにしぶとく残り続けていた記憶がございます。

 

 

後日、CBのバージョンRやXJRのRⅡを中古車で買ったオーナーの多くが、開発者が徹底的にこだわり、しかるべきコストもかけた角目ビキニカウルをあっさり丸目一灯にした……という話を聞いて何だか悲しくなりましたが、インパルスの場合は今もってSTDをType Sのビキニ仕様にするというカスタムの手法に人気があるそうで、ほっこりいたします。

 

 

ちなみに各社を“ローレプ”ビキニカウルで震え上がらせた(?)カワサキは、1995年1月に丸目一灯ヘッドライトを装着した「ZRX-Ⅱ」を追加で登場させました……。

1995_ZRX-2

●1995年型カワサキ「ZRX-Ⅱ」。基本的なスペックは「ZRX」と同じで、税抜き当時価格は「ZRX」より1万円お安い58万9000円!

2008ZRX-2

●最終モデルとなった2008年型「ZRX-Ⅱ」。モデルライフ後半は往年の“角Z”を彷彿とさせるグラフィックやストライプ、ラインをカラーリングにどんどん取り入れて高い人気を維持し続けました。ホント、カワサキは過去の遺産を活用するのがうまい、うますぎる……

 

 

さすがに思いましたね、「ズルい!」と(笑)

2001 ZRX/2

●2001年型「ZRX/-Ⅱ」のカタログ。ほら、カワサキファンならずとも心がザワめくでしょ……(笑)。このあたりの紹介も含め【後編】にご期待ください!

 

 

さて、次回は3度目の復活劇をとげた“インパルス”と当時の世相についても語る予定です。

インパルス400

●「ん? 3度目の復活って、4代目があるってこと? 平成インパルスは同じバイクじゃないの??」 はい、今を生きるヤングにとっては当然の疑問ですよね。そのあたりも、スッキリさせてまいりましょう〜

 

 

あ、というわけで1990年代を駆け抜けた3代目“インパルス”と他メーカーのライバルたちは、「400ネイキッド」という大人気ジャンルで鎬を削ったため中古車の数も豊富。カスタムパーツも星の数ほどあるので、自分好みの相棒へ仕上げることができます。レッドバロンの『5つ星品質』中古車を購入して、同グループ「パーツショップ日名橋」の優良パーツも活用すれば、バイクライフの楽しさ倍増ですよ!

 

 

インパルスという繰り返す衝撃【その3】はコチラ!

 

インパルスという繰り返す衝撃【その1】はコチラ!

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