遠く去りゆく昭和のスポットをスーパーカブ110で探訪する当連載。神奈川県相模原市からスタートし、道志みちを経由して山中湖、富士吉田市とツーリングしてきたが、ついに最終回! ザ・昭和な食堂で最高なカツ丼、そして絶景に出会ったのだ。

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いいカンジの食堂を発見、シブい、シブすぎる!


昼飯を求めてウロウロする私。富士吉田市で昼飯を食おうとした目当ての店が臨時休業で、続いて山中湖畔にある第二候補の店に行ったらソコもお休みだった。結局、富士吉田市→山中湖→再び富士吉田市へ。

移動時間だけで1時間(笑)。何やってんだか、というカンジだけど、私にとってツーリング先での一食は、ただの一食ではない気がなんとなくするのだ。

富士吉田市の市街地を南北に走る昭和通りを流していると、なんともいい佇まいの食堂を発見! カンバンに「食堂 喜八」と書いてある。

↑目についたのが「食堂 喜八」さん。地元密着型の「ザ・街の食堂」といった趣だ。横の駐車場にはクルマが5~6台停められそうだっった。■山梨県富士吉田市下吉田7-2-26 月休 ※営業時間は要確認

 

↑シンプルで潔いカンバン!

 

↑こちらのカンバンは「食堂」の横に喜八の文字があるが、白くなって地色と同化している。

↑のれんがまたシブい。


中に入ると「いらっしゃい」と妙齢のおばさまが出迎えてくれる。カウンターが6席のほか、小上がりの座敷もあり、地元らしい先客が4名。カウンターの奥にキッチンがあり、白い割烹着のおじさまがキビキビと作業しておられる。

メニューを見ると、全体的に安い! トンカツ定食800円、メンチカツ定食700円、親子丼600円、カレーライス550円などに目を惹かれる。

↑こんなに安くて大丈夫ですか!? と思わず心配になってしまうメニュー。

 

私が選んだのはベタだけど「カツ丼(並)」650円。お腹が膨れるので最近あまり食べないのだが、なんとなく美味しいと直感したのだ。

全てが絶妙、私にとって100%なカツ丼!

注文してから店内を改めて見回す。

↑漫画は「ゴルゴ13」に「1・2の三四郎」! ジャンプとビッグコミックオリジナルという食堂のテッパンラインナップ!

↑足元にコンクリートブロックを敷いて足が置ける仕組み! ワイルドだ! レジは年季が入っていて、飴色に変色していた。

↑トイレ。建物は年季が入っているけど全体的に掃除が行き届いている。


店内にはNHK朝ドラの再放送、そしてカツを揚げる音だけが響いている。黙々とお客さんは食事し、ご夫婦らしき二人の店員さんはムダ口を叩かない。そしてカウンターからは厨房が間近に見られるので、調理の行程をしっかり見学できて楽しい。

↑三つある鍋は全てカツ丼の玉子とじ用! きちんと注文後にカツを揚げ、玉子でとじていた。その慣れた手付きに期待が高まる。


15分程度でカツ丼(並)が着丼。さっそく掻き込む。

↑カツ丼(並)にはみそ汁と漬物が付属。


これは……カンペキと評していいカツ丼だ。ふわっとした玉子の食感と甘めのつゆを感じながら噛んでいくと、ジュワッとカツの肉汁がほとばしる。

↑白身を残してフンワリした玉子に、厚みのあるジューシーなカツが絡む! 漬物も美味。


それぞれの具が美味しい上にバランスが絶妙。これで650円なのだからマーベラスというほかない。これなら恐らく何を食べてもウマいハズ。こんな店が近くにあったら……と思ってしまう。

食べているうちに、他のお客さんがお会計に立つ。おかみさんとの立ち話が聞こえてくる。何やら客の親父さんの娘が久々に実家に帰ってきたようだ。子供の頃に行っていた喜八さんにまた行きたいと言っているので、夕飯にまた来る、などと話している。長年にわたって地元に愛されている店なのだと実感した。

昭和54年創業、守り抜かれた昭和の味!

私もお会計の前に少しおかみさんとお話をした。お店を始めたのは「今から45年前です」という。ならば昭和54年(1979年)創業だ。

「昭和の時代は機(はた)織りの町だったんです。だんだんうちらみたいな年寄りの店が一つ消えて、二つ消えて」

海外の安い製品が出回った影響で、機織りの産業が寂れていったという。ただし今も織物傘やネクタイを手掛けている店があるとのこと。

「若い人たちが立ち上がって、こう盛り上げようって頑張ってる最中ですよね」

店の壁にも催し物のポスターが貼ってある。また、商店街に富士山の写真を撮れるポイントがあるため、近頃は海外の観光客で賑わっているという。

「古い年寄り2人で頑張っていますけど、今度いらした時は更地になってるかもしれません」とおかみさん。「いやいや、そんなこと言わずに。また来ます」と笑って店を出た。

いかにも手強くゴツい巌道峠へゴー! そして……

腹もハートも満たされて、帰路へ。道志みちに再び向かう。さて、もう一つ、道志みちで行きたいポイントがある。それは道志みちから林道を上がっていく「巌道(がんどう)峠」だ。スーパーカブなら大抵の悪路も走破できるし、何やら景色がよさそうなので是非行ってみたかったのだ。

巌道峠は峠道志村と旧秋山村(現上野原市)との境にあり、道志みちと主要県道の35号を結んでいる。ちなみに県道35号は、神奈川編に出てきたヤングマシンの松田さんが昔よく走っていた道で「裏道志」とも言われているとのことだった。

↑位置関係はこんなカンジ。青い道が巌道峠の一部。


巌道峠の入口は、道志みちの東側寄り。久保吊り橋の西にあり、道志みちから延びる林道久保秋山線か野原林道で北上する。

私は林道久保秋山線から向かった。暗い山道は相当な急坂の上に、道幅は自動車がなんとか1台通れる程度の細さ。落ち葉で路面が塞がれている。

↑林道に入って間もなくはこんなカンジだったが・・・・・・。

 

↑急坂の細い峠道に! でも、こんな道もカブなら何とかなる。重量級のバイクで走るのはカンベン願いたい!

 

どんどん山の奥へ入っていき、20分も上がっただろうか。開通記念碑があった。エンジンを停めると周囲が不気味なほどの静寂に包まれる。

↑峠に立つ開通記念碑。汚れと苔でかなり読みにくい。昭和63年6月建立。

 

記念碑によると、古くは強盗(がんどう)坂とも呼ばれていたようだ。強盗、つまり盗賊が出没した峠道だったのかもしれない。後に「巌道」の文字を当てたという。しかし、この名前がよく似合う道だなぁと思う。それほどに厳しい。

竣工開始は昭和46年。17年の歳月をかけて完成したとのことだが、相当な難工事だったと思われる。

↑県道35号線方面の道は封鎖されていたので引き返すことに。

 

来た道を引き返す途中、絶景に出会えた。見渡す限り幾重にもうねるように山肌が広がり、雲のすきまから薄い光の杖が伸びている。今回のツーリングはなかなかスムーズに行かないことも多かったが、こんな景色を見ることができたのだから万事OKだなと思った。

加えて、凄く長いツーリングだった気もするが、これは単純に私の執筆ペースが遅かったことも影響している。ツーリングに行ったのが2023年の11月末で、これを書いているのは2024年の8月になってしまった……!(ゴメンナサイ)

そもそも私の人生も今回のツーリングのようなものだ。苛立たず、淡々と、ゆったり。時には戻ったり迂回したりしながら、カブのようにマイペースに、偶然の出会いを楽しみながら行くしかないようだな。そんなことを思いつつ帰路についた。

[おまけ]燃費は46.30km/L! 今回あんまりよろしくない笑

最後に恒例の燃費計測だ。今回は332km走行して7.17L給油した(給油回数は2回)。その結果、リッターあたり46.30km。峠道が多かったせいか、スーパーカブ110としてはあまりよくなかった!

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