スーパーカブ110で昭和ゆかりのスポットをチンタラ巡る『昭和レトロ紀行』。今回は古墳時代の遺跡として有名な「吉見百穴」へ! 国の指定史跡ながら、実は私有地だとか。現地で興味深い話を訊くことができた。

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今は「ひゃくあな」? 不思議な光景が広がる

吉見百穴は、埼玉県比企郡吉見町にある史跡。教科書に載っていた気がするけど、見るのは初めてだ。上沼旅館から走り出すと、たった10分で到着!

↑道中にあったナイスコピーなお店。店名もいい。

↑入場しなくても、遠くに穴の空いた小山が見える。

↑広大な駐車場。土日には観光バスも訪れて大盛況なのかもしれないが、平日の今日はガラガラ。

↑入場口の前で記念撮影! ■埼玉県比企郡吉見町北吉見327 営業時間8時45分~16時50分 入場料300円 年中無休 https://www.town.yoshimi.saitama.jp/soshiki/shogaigakushuk/7/909.html

 

岩山の斜面に無数の穴が空いている。何とも不思議な光景だ。入場しなくても威容が拝めたので「これでいいかな」と満足感が(笑)。もちろん、せっかく来たので入場料300円を払って中へ。

詳しい説明はぜひ各自で調べていただきたいのだが、この吉見百穴は、古墳時代後期(6~7世紀)に造られたと言われる横穴式の墓。その数219基と言われ、日本最大級の規模という。また洞窟には、国の天然記念物に指定されている「ヒカリゴケ」が自生している。

そして忘れてはならないのが地下軍需工場の跡地。昭和19年末~20年(1944~1945年)、アメリカ軍の空襲を避けながら航空機のエンジン部品をつくるため、大規模な地下工場がつくられた……のだが、あいにく崩落があったとかで当面の間、立ち入り禁止となっている。

ちなみに昔は「よしみひゃっけつ」と呼んでいた気がするけど、パンフレットを見ると「よしみひゃくあな」となっていた。

なんと持ち主が登場、国の指定遺跡ながら個人所有なのだ

入口を入ると右手に説明のビデオを流している休憩所。さらに奥へ進むと「百穴発掘の家」の看板を掲げた売店がある。「出土品陳列」と書いてあったので、何気なく入ってみた。

↑休憩所。夏や冬に重宝しそう。ハニワのインテリアが。

↑小山の手前にある「百穴発掘の家」。

 

中には土産物のほか、明治時代に撮られたモノクロの発掘写真、吉見百穴を紹介した雑誌や新聞の切り抜きが置いてある。さらに出土した壺や直剣、勾玉の類が展示されていた。ちなみに写真撮影はNGだった。

見物していると、売店の男性が話しかけてきた。年の頃は50代だろうか。

「お茶飲んでって!」。アッという間にもう一人の従業員であるおばあさんがお茶が出してくる。男性は、ご丁寧に展示物について説明してくれるのだが、話が止まらない。途中に挟まれた「たまねぎスナック食べてって」「五家宝(埼玉銘菓)はどう?」などの営業トークをかわしつつ、30分以上にわたって話を訊いた。

男性の話をまとめると、こんなカンジだ。男性は吉見百穴(の山と周辺の土地)の所有者。先祖が旧家の地主で、吉見百穴は「国指定の史跡だけど、私有地なんです」という。

発掘の家の右手に立派な資料館があるのだが、そこには吉見百穴から出土したものではなく、吉見町から出土したものが展示されているとのこと。発掘の家に展示されている出土品こそ吉見百穴から出た“本物”というわけだ。

さらに歴史について。「みなさん、穴が最初から開いていると思っているんですけど、お墓なんで本当は全部フタで塞がれていたらしいんですよ」と男性。

明治20年(1887年)に東京帝大の大学院生=坪井正五郎氏(後の高名な人類学者)が大規模な調査を開始。横穴墓を“閉塞石”と呼ばれる板状の石で塞いでおり、それを外して調査した。土器などの埋蔵品もたくさん出たらしいが、閉塞石と合わせて資料として大学に持ち帰った。坪井氏は発掘が終了した翌年にヨーロッパへ渡り、数年が経過。出土品はそのまま大学のどこかに埋もれてしまったらしい(!?)。

そんな経過もあり、遺跡の解明につながる手がかりがほぼ残っていないと男性は嘆く。

なお吉見百穴の読み方は「文学上は“ひゃっけつ”なんですけど、地元では“ひゃくあな”の愛称だったので、“ひゃくあな”を正式登録にしています」とのこと。また、昭和60年頃までは自由に上り下りできたが、墓穴の落書きがひどくなり、一部にしか入れなくなったと話す。

清廉な古代遺跡とは真逆、様々な思惑が

少々聞きにくかったのだけど、最大の疑問があった。「国から“土地を売ってくれ”という話はなかったんですか?」と思い切って質問してみた。

「お金にしたら何の価値もないんですよ。だってお金って使うか貯めるしかないじゃないですか」と男性。最初は意味不明だったが、徐々にわかってきた。

まず国の指定を受けていることから、国、町などに複数の権利があり、売却の許可を得ることが難しい。そして、男性が所有権を持っており、町に貸しているため、入場料の一部が入ってくるという。

なるほど……。土地を売却してしまえばお金にはなるが、それで終わり。言い方は悪いが、利益を最大限に引き出すには手放さない方がいい。実に強かだ。

私は「まだ百穴に行っていないので見てきます」と話を切り上げ、外に出た。

↑百穴は近くで見るとこんなカンジ。

↑地下軍需工場跡地の入口。太平洋戦争中に掘られた大規模な地下空間が広がっているのだが、現在、見学は不可。実はこの周辺、戦争に関係する史跡が多い。

↑軍需工場跡地の内部。うっすらと遠くに光が。

↑解説が多数。昔は住居説が有力だったが、今はお墓説が有力になっている。

↑横穴の入口は、しゃがむと入れるほどの大きさ。

↑中は人が二人横になれるぐらいの広さで、石の仕切りがある。カベの傷は落書きだろうか。

↑頂上からの景色。平野が広がり、遠くには山の連なりが見える。左手にうっすら富士山もコンニチハ。

 

頂上にベンチがあり、公園のようになっている。遠くを眺めた。ここは1400年前の墓地だ。1400年も経てば、歳月が人間のドロドロした感情を流し去り、この場には清廉なものしか残っていないはずだ。ところがどうだ、現実は真逆じゃないか(笑)。少々ユーウツになると同時に、だからこそオモシロイとも私には思えるのだ。

↑コチラは資料館。吉見町からの出土品が展示されている。

↑勾玉や埴輪づくりができるほか、勾玉のお持ち帰りキット(笑)も販売中。

とっとと次の目的地へ……と思ったら、アクシデント発生

見学を終えて、もう一度発掘の家へ。そのまま出ていこうとも思ったが、たっぷり話を聞かせてもらったので、何か一つぐらいお土産を購入しようと思ったのだ。男性は他のお客さんを接客中だった。おばあさんが「お茶飲んでって!」と話しかけてきたので、さっきいただいた旨を説明して丁重にお断りする。出土品を前に、今度はおばあさんの説明が始まる。

パンフレットに明治時代の写真や出土遺物が掲載されており、そこに「〇〇家蔵」と書いてある。おばあさんは「〇〇家の宝物です。ご覧ください。町長さんが良い方で。名前だけはパンフレットに入れてと私がお願いして。私が逝った時におじいちゃん、おばあちゃんに叱られちゃうから。それで入れていただいた。“じゃあ出土品を全部無料で見せます”って言ったら、町長さんも喜んでくれて。ご先祖も喜んでると思います」という。

お年を訊くと「88歳です」という。つまり1937年、昭和12年生まれ。お年のわりにとてもお元気だ。

そうこうするうちに男性が来た。先程のお礼を言い、おやつがわりに300円のようかんを買って店を出た。

1400年前に墓がつくられ、明治期の発掘、昭和期の軍需工場、そして令和の現在と様々な経緯を辿ってきた吉見百穴。オモシロイという気持ちとヤヤコシイ所だな! という気持ちがせめぎ合っている。もう離れようと思ったら、スーパーカブのカギが見当たらない。

百穴の山を上り下りして、大汗をかきながらカギを探すハメになった。結局見当たらず、小山の途中で途方に暮れていた。何度目かのポケットを探ると、ジャケットのポケットが二重構造になっていて、その奥にカギがあった(笑)。眺めのいい景色を遠くに見ながら、私は脱力感に包まれていた。

【もうちっとだけ続くんじゃよ! 以下次回】

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